『捉え方』/宇治川立樹
こんにちは。駒澤大学高等学校出身、地球社会共生学部地球社会共生学科の宇治川立樹です。初めてのブログで拙い文章になりますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
物心つく以前からサッカーを始め多くの感動を味わい、挫折を経験し、サッカーを通して人として大切なことを学んできたと自負しています。家族の手厚いサポートがなければ、大学サッカーに挑戦することなく、どこか区切りのいいところで競技を辞めていたと思います。朝早い練習時には4時に共に起きてくれ、家に帰れば温かく美味しい料理を用意してくれたり等、自身が競技に集中して打ち込める環境を整えてくれる最強で最厚なサポーターだと感じています。居心地が良すぎるあまり、インドアすぎる私は休日は常に家で引きこもりドラマを永遠に見続け、ゴロゴロし、授業後も直帰しできるだけ家に居る時間を長くしたり等、多くの人が理想としている大学生活とは程遠いおじいちゃんみたいな生活を送っています。サッカーと同等の熱量をかけることができる勉強を大学ではメインでやっていきたいと考えていた私が今も尚続けているのには高校時代での経験が大きく関わっています。
「自分に矢印を常に向ける。」この言葉を高校のサッカー部の指導者から3年間嫌になるほどかけられてきました。チームが掲げるサッカースタイルに幾度となく反抗し、不貞腐れた態度をとってきた私にとって今になってとても愛のある言葉だと汲み取っています。自分のサッカー観がほとんど罷り通らず、上記のような子供染みた言動、行動は愚かなものであると今になって気付かされました。チームスポーツであるサッカーは競技者の数だけ「こんなサッカーがしたい」と理想としている像を摺り合わせ、それと同時に選手各々の特徴を可能な限り発揮できるようなサッカーをワンチームとなって考え、実践していく必要があります。高校時代の私は心のどこかで自身の考えが先行するサッカーを追い求めすぎていたのかもしれません。私が所属する青山学院大学体育会サッカー部は「自主性を重んずる」ため、高校の時までのような何においても整備されたような環境ではありません。そこで重要となってくるのが題目とした「捉え方」であると私は考えています。一つの試合、練習、そこで生まれるミスや成功を常に客観的な視点から自身で分析しない限り、成長は見込めません。無論学業でも同じことが言えると思っています。良いように捉えればミスに対して目を瞑り、成功体験ばかりに固執するでしょう。確かにこのように捉え続けていれば楽しく人生を送ることができますが、寂しい人生だと私は思います。人間は誰しも弱いため、ミスや自身にとって不利益な点に対して向き合えないものです。しかし、自分を評価するのは自分自身ではなく、常に「他人」です。社会に出る上で他者と違った付加価値をこの4年間で学ぶべく、自身に矢印を向け続け、厳しく、細かく何事も捉えていこうと思います。そして何よりも最高の同期と共に今までの人生で最も濃密な4年間になるよう精進していきます。
【 2022/09/01 更新】