クラブプロフィール
監督
玉井 朗
『自彊不息(じきょうやまず)』
サッカーの楽しみは不断の努力の上に成り立つものだと考えています。
サッカーを楽しむために、私たちは自分自身で強くなっていきます。
私たちはサッカーのルールをリスペクトし、対戦相手をリスペクトし、レフェリーをリスペクトし、仲間をリスペクトします。
そして、何より自分自身をリスペクトしていきます。
拓殖大学サッカー部はそんな仲間たちの集団です。
チームカラーは『オレンジ』。
燃える男たちです。
どうぞよろしくお願いいたします。
沿革
1930年に拓殖大学サッカー部は誕生しました。
1965年発行の部誌「緑光」に『部が出来たのは1930年(昭和5年)。
『球の好きな奴が茗荷谷の校庭でポカンポカンと蹴っているうちになんとなく出来た。』と記載されています。
その後、拓大サッカー部は順調に発展。
1937年の関東蹴球協会機関誌には大学リーグ2部校として名を連ねています。
しかし、第2次世界大戦により1943年の大学リーグ戦は中止され、
他の大学同様、拓大サッカー部もしばらく空白の期間を迎えます。
戦争の混乱から日本が復興していった1962年。
東京オリンピックの前々年に拓大サッカー部は同好会として再スタートを切ります。
1963年には関東大学蹴球連盟に再加盟。7部リーグでしたがその年のインカレに出場しました。
1970年には関東大学リーグ2部に昇格。1982年には関東代表として総理大臣杯に初出場。
拓大サッカー部は勢いを増して行きます。
しかし、盛者必衰の理どおり、1984年に拓大サッカー部は東京都大学リーグに降格してしまいます。
その後、5回の入れ替え戦と1度の参入戦に挑むことになりますが、関東大学リーグ2部復帰まで拓大サッカー部は長い長い低迷期となりました。
関東大学リーグ2部復帰が叶ったのは2004年。実に20年ぶりの関東大学リーグ復帰確定でした。
そして、2部復帰後の5シーズン目、2009年に拓大サッカー部は念願の関東大学リーグ1部初昇格を決めました。
2010年、気持ちも新たに関東大学リーグ1部というステージで戦いました。しかし、結果は最下位で1年で2部に降格。
2019年、第8回関東大学サッカートーナメント大会で7位入賞。
総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント出場の切符を37年ぶりに掴み取り、本大会ではベスト16という結果に。
2020年、拓大サッカー部史上最高の成績となる勝ち点49を積み重ね、11年ぶりの関東大学リーグ1部復帰を達成。
2021年、チーム総力戦で22試合を戦い第10位。
入れ替え戦に臨むことになったがなんとか勝利を掴み取り、関東1部残留を果たした。
2023年、3年生の日野翔太・関根大輝がアジア競技大会の日本代表メンバーに選出。銀メダルに獲得に貢献。
しかしチームは関東1部12校中11位の結果により再び2部リーグ降格。
2024年、再び関東1部リーグの舞台へ戻るべくチームは始動。
拓大スタイルで2部優勝を成し遂げるべく真価が問われるシーズンに。