日本の文化
ラグビーワールドカップにおいて日本代表が最終戦であるアルゼンチン戦後にスタンドに向かって選手スタッフ全員で感謝の気持ちを含めてお辞儀をしているシーンについて各国のメディアから称賛の声が相次いでいる。
我々日本人からすれば当たり前の光景であると感じている。
育成年代を長く観ていると相手チームはもちろん、応援をしてくれた皆さんへの挨拶。
小さい時から当たり前のようにしてきた。
選手が交代などでピッチを去る時にグランドに向かってお辞儀をしているシーンも珍しくはない。
プロサッカー選手でさえお辞儀している選手も少なくない。
世界から見ればすごい事に見えるかもしれないが日本人からすれば当たり前。
スタンドでゴミを拾って帰る観客も当たり前とは言わないが、日本ではよく見る光景。
このような文化は日本では定着しているはず。
このような文化を全世界の人が行わなくたとしても感謝の気持ちを持つ事は大切である。
感謝の表現は本当に難しい。
幼少期からこのような文化に触れさせることができる我々指導者の役割は大きいと改めて思う今日この頃である。
人生を振り返る歳になると色々思う事、考える事、後悔する事、反省する事が数多く出てくる。
情けないと思いながらも自分と重ねながら今のサッカーマン(最近は大学生)を見ているとこれからの社会人人生で良い意味でチャレンジし続ける選手が如何に少ないだろうと感じざるを得ないことか。
またサッカーぐらいはチャレンジして欲しいとつくづく思う時が多い。
劣勢が当たり前の試合でもリスクを恐れてチャレンジせず、その間にイージーなミスでボールを奪われてショートカウンターを喰らう。
劣勢が当たり前であれば前にチャレンジをして失敗して欲しいと最近は思う。
人生の失敗は誰しもしたくないので安心安全の人間が多いのも頷ける。
しかしながらサッカーにおいての失敗は悔しさと楽しさが入り混じっているのである意味面白い。
人生での失敗はしたくないものである。
だから若いうちにサッカーという競技でチャレンジの醍醐味を味わって人生の判断に役立てて欲しいものである。
サッカーという競技に出会いました。
お父さんが、お母さんがサッカーやりなさいよ。はたまたワールドカップの熱狂を観てサッカーを始めた。
動機はともかくとして、サッカーを始めてからリフティングしかり、ドリブルしかり、トラップしかりスキルは一生懸命努力して(時間を費やして)少しずつ上達はしてきた。
しかしながらサッカーという競技は、時間や空間という目に見えないものがあり、相手と味方の動きやミスも含め、なおかつ駆け引きまでしなくてはいけない競技である。
最も大事なことは闘う競技である事も事実である。
その闘うというメンタルと行動をどのように身につけていくのか、ただやっているだけの選手には上のレベルではやれない現実が待ち受けている。
スキルの差で勝敗が決まってしまうサッカーはサッカーではないかもしれない。
選手は何を学び、何を目指しているのかを明確にして、ただやってるだけの時間を過ごさないようにしてもらいたいものである。
100人200人などの大所帯のチームでも、少数のチームでも、ただやってるだけの選手と先に書いたサッカーという競技の本質を追求する事の出来る選手のみがチーム内の上に行ける要素を持った集団であると思う。
最近はどのカテゴリーにおいてもトレーニングを全体的に眺めて、観察をする。
時には俯瞰して上からトレーニングを見ることがある。
試合を上から観てポジショニングなどを確認することよりも色々な角度や距離を縮めてトレーニングを観ていると、トレーニングそのものの色、例えば熱く闘っているなら真っ赤であり、コーチの戦術に関する話を聞いている時は澄んだ水色に見える。
グループ戦術のトレーニングの時に、あるグループは和かにオレンジ色のように、また空気の密度は引き締まる事はなく空気も薄く感じる。
対人のトレーニングの時にバチバチとやり合い骨のぶつかる様な感じのトレーニングを見ていると、赤の中に激しい紫の色を見ているようだし、空気感も濃く引き締まった密度を感じる。
出来れば色に例える様に選手個々が色と密度を作ったり感じたりできる様になれば中味の濃いトレーニングができる様になると思う。