体育会系で育った我々は、苦しくても辛くても頑張る事を良しとしてきた。当たり前のように頑張ることは良いに決まっている。しかしながら頑張る事、頑張らせる事が全て正しいかどうかは別である。
頑張る事で身体や精神がおかしくなることもある。頑張らせることで、元々好きで始めた事なのに嫌いになってしまうこともある。
現在は頑張らなくても良いんだよ。頑張ることが全てではないんだよ。という考え方もシチュエーションによってはあり得る。
ただ、物事を成就させるには頑張らなくては難しい。頑張らなくても成就出来るものってあるだろうか?
我々スポーツそれもアスリートを育てる側からすると、頑張らずして勝負には勝てないし、上を目指すことなど到底出来ないと考える。
体調が悪くても無理してトレーニングする事や、熱があっても学校に行く事が美学とされてきた昔。
現在はそんなに無理して身体がおかしくなったらどうするの?しっかり休みなさい。そんなに頑張らないで少しは立ち止まって考えてからまたスタートすれば良いんじゃない。という考えも浸透してきている。
どちらも正解である。
頑張ることは当たり前、頑張らない事も時には必要。この分岐点は難しい。
人として、またアスリートを目指す選手としては頑張る事は当たり前で、また無理というか150%で取り組む事が全てのレベルアップに繋がる。
頑張らない頑張れない選手は、本人は頑張っていると言っても常に頑張っていないように見られてしまう。
無理するな、頑張らなくても良いんだぞと言われる選手は、どこかでまた今までの中とんでもなく頑張ったからこそ、無理するなよと言われるのである。その線引きは簡単である。
どこかで無理をするぐらい頑張ってきた選手は、頑張らなくてもまた頑張れなくても自己判断出来る選手になっているはずである。
頑張ってきたこととか無理をさせられてきた事で、頑張らなくても無理をしなくてもいいと、自分でハッキリと判断できる選手は頑張る事、頑張らなくてもいい事どちらにも美学があるということを理解している人間である。
そもそも「頑張る」という言葉も抽象的で基準も曖昧ではあるが‥‥
何気ない生活
2020年4月
今年の初めから新型コロナウィルスという新手の病気がジワジワと浸透し始め、4月には我々が経験をしたことの無い、未曾有の状況になっている。自分も含めて日本国中、生きている人全ての何気ない生活、子供は遊び学び、大人は働き、またお年寄りはのんびり余生を楽しみ、もちろん何気ない生活の中で苦しみや悲しみを抱えておられる人もいるでしょう。
しかし、今回のように何気ない生活の時間の中で、とんでもない危険や制約を受け、でもその危険がいつ、どこから身に降りかかり、どこでその危険を身近な人も含め他の人に巻き散らすか分からない。
我々指導者にとっても、選手達がやりたくてもスポーツ(サッカー)が出来ない状況が目の前に来るなんて想像すら出来なかった。
何気ない生活がいかに大切かつ素晴らしいことなのか分かりつつある。
このような何気ない生活を送る、以前も今も同じように人には24時間が与えられている。
その24時間の中で、生きるという目的を持って行動する事は、食事と睡眠、これはどんな時でも一緒。
それ以外の何気ない時間、学ぶ(勉強、サッカー)時間、これが今後どのように影響してくるのか非常に興味深いというか、怖い。
コロナ対策のそれぞれの基準。何気ない時間のそれぞれの学びの基準。
やはり具体的な事を掲げて実行できるか否か。
これが大切。
我々指導者は沢山の経験、勉強、情報収集から具体的な意識を選手に持たせる事でそれぞれの基準を上げさせていく事が大事だと改めて痛感する。
この厳しい状況の中、それでも何気ない時間が流れ何気ない生活は続く。
今までの何気ない生活が送れることに有り難さを感じられる様になり、何気ない時間の中にもしっかりとした具体的な行動をとる事が出来る様にしたいものである。