物言い
以前、話の術というテーマで少し話をしたが、最近私の近くの熱いコーチを見ていると本当に感心するぐらい熱心にコーチングをしている。
しかしながら少し引っかかる事があるというか、違和感を覚える時がある。
自分自身では分からないだろうが、自分が辿ってきた道が基本だとすると、それを基本にコーチングをする。
出来て当たり前なのか、出来ないから教えるのか?勿論出来ないから教えるのである。
またその中において、自身で考え判断することも要求する。
ただ物理的な事はやらないとそのレベルまで絶対にいかない。
パススピードしかり、止める事しかり、キックしかり、そこは意識して出来るように言う。
その時の物言いに違和感を感じる。
聴く側がなるほどと思い、納得するための物言いにはほど遠い。
やって当たり前だろ、やらないといけないだろ。とキツい物言いがやたら出てくる。
歳が若ければ若いほどこれは考えなければいけない。
最近は大学生でも言葉に敏感というか、言葉に臆病な選手が多い。
時代背景なのか、教育現場の環境なのか、家庭での環境なのか、もう少し物言いのスキルを身につけないと、身に付かせようと思っても身につかない選手が沢山出るような気がしてならない。
勿論本物は残るが、本物になる途中で挫折もあり得る。
どちらが良いのか?
とにかく物言いは勉強しよう。
若い指導者よ。
選手の心に響き、頭に残る物言いを習得しよう。
自分のコーチングを録音して、後で聞いてみると良い。意外とキツいぞ。
褒めて伸ばす
最近の傾向として褒めて伸ばすという事がよく言われる。確かに褒める事は良いこと。
褒められれば嬉しいし、またやろうという気にもなる。
しかしながら子供たちは何故褒められているのか何故か分からない子供もいる。
それは単純に結果を誉めているからである。
大学生にもなれば、結果よりプロセスを褒める事で、その後の結果を産むというプロセスの理解にも繋がる。
我が大学の選手には学校生活の中や社会生活の中に褒められる内容がゴロゴロ転がっていると話をする。
学校生活を含む社会生活の中においてあいさつ然り、ゴミ拾い然り、予測と配慮然り、このような行動が直接誉められる事は少ないが、必ず褒めて頂ける事に繋がる。
時間をかけて自分達に褒め言葉が返って来た時に誉められる事の実感とそのプロセスの大事さを知る事になる。
このような歩みが少なからず組織と自分を豊かにする。
よって何故誉められるのかの本質を教えてやる事が肝要である。
話の術
私の周りに有望か無謀か分からないが、若い指導者がたくさんいる。
熱心に自分の経験(レベルはともかく)と自分なりの勉強、自分なりのポリシーがあった上で指導現場に立っている。
客観的な立場で見ていると、当然のことのようにレベルによって話す内容も話し方も言葉自体も変わってくる。
しかしながら私が見ていて、特に高いレベル(例えばプロ)での経験や厳しいチームで経験して来た選手上がりの指導者は、全てに「できるものとして」はなしをしたり、コーチングをする。
そうするとどういう事が起きるかというと、口調がキツくなり、怒ったような表現になる。
分からなくもないが、私から言えば、言われた事がしっかり理解できていないのは勿論、言われた事を理解しようとしてやる選手ばかりではない。
長いこと教えてもらって来たけど、実際は教えてもらって来ていない。
そのようなレベルの選手には話す術を駆使して、面倒ではあるがゆっくり丁寧に話をしていかないと、言われることに対するアレルギーが噴出してしまうケースが散見される。
とにかくこれからの指導者は今までの選手の教えられ方を把握した上で、教えるための話の術を身に付ける必要を感じる今日この頃です。
面倒な時代の突入です。
勉強と経験
指導者にせよ、選手にせよ成長したいなら勉強と経験が大事。
選手においては勉強を多くした上で経験。
失敗の経験、成功の経験共に勉強。
勉強という言い方は堅苦しいが、監督やコーチからの一言一言をいかに吸収しようとするか、これが勉強。
この勉強を色々な場面で経験をする。経験をして成功と失敗を繰り返す。
このようなルーティンでトレーニングとゲームを繰り返す。特にトレーニングでどれだけ沢山の勉強をしようとするかで大きな差が生まれる。
よって指導者は選手にどれだけ多くの勉強をさせられるか。
選手はこの教えをいい形で受け止められなければ勉強した意味がない。
サッカーが上手くなりたいのに、サッカーを教えたいのに勉強をしない選手や指導者がいるのも事実である。
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