中学年代からの『親』と『子』の覚悟
少年時代のサッカーは、親も子も、明るく楽しくみんな仲良く、試合に出ても出なくても、勝っても負けても、翌日には笑顔を取り戻し、元気にグラウンドを駆け回っていた。そんな楽しかった時代の記憶が今でも甦ることがある。確かに親子共々小学生まではそれで良かった。小学生までは。
サッカー指導者として22年という年月が流れ、親と子の関係性が大きく変わってきたことに度々驚くことがある。この問題は我々のサッカーの現場のみならず、全国各地で、そして多くの種目で起こっている現象といえる。
それは、一言で言えば、子の『自立心』の低下であり、逆に親の『依存心』の上昇が際立ってきたことである。分かりやすく言うと、幼少年期まで注いできた親の愛情が、中学生(思春期)においても同じように注がれ、子の成長や自立の邪魔をしてしまう現象である。もっともっと上手くなりたいし成長したい。将来はJリーガーになりたい。と夢ばかりを大きく膨らませている子が、何から何まで親の手助けを当てにし、すぐに楽なことを選択することから、判断力や行動力がなかなか培われていかないという『自立』とは程遠い現実。逆に毎日頑張っている我が子の夢を少しでも叶えさせてあげたい一心で、全力で応援し、できる限りのサポートをしたいと強く思っている親が、子の為とばかり何にでも安易に関わりすぐに手を貸してしまうが、結局、子の精神的成長を妨げ親の思いとは全く逆の作用を起こしている悲しい現実。成長期の子への著しい『依存』は、子の意欲を大きく喪失させるとともに、肝心なところで甘えが生まれ頑張れない。また『闘争心』や『危機感』の薄れにも大きく影響していくのである。
さらに最悪なことは、子に結果が出ないことや、試合に出られないのは先生や指導者など第三者のせいと決めつけ、指導法や選手起用にまで口を出すという目も当てられない親もいることである。他人の助言やアドバイスを聞くことのできる豊かな心の持ち主であればまだ救いようもあるが、残念ながら多くの場合は心に余裕など無いことが多い。自らの考える好条件が整うまで何でも子のためと必死に動き回るし、騒ぎ散らす。『負のスパイラル』に気付かない親子が行きつく先は『孤独』や『限界』であり、結局はその子の成長期における『自立』は期待できないものとなる。
家庭教育は、『関わらない覚悟』と『自己責任』という二つの教育作業の柱が最も重要ということだ。簡単なようだが、とてつもなく難しい作業であることは身を持って実感できる。
中学年代は心身ともに成長が著しく、大きな変化が見られる。もちろん『遺伝』や『環境』などによって個人差は生じるが、この時期に『自立心』を促し指導・教育していくことが何より大切で、このタイミングを逃すと他より『精神的成長』が遅れていくことになる。
高校年代に入ると、育ってきた生活環境の差がはっきりと現れてくる。常に責任感を持って行動を起こし、自らの意見をしっかり述べることをしてきた子と、いつも親が答えを捜し、応えてくれ、欲する前に与えられてきた子の差が。経験上、その時すでに親子の『描いた夢』は途絶えていることが多い。
子が何かを目指した時、また大きな夢や目標を抱いた時、親は『見守る勇気』と『受け入れる覚悟』を持たなくてはならない。なぜなら、やるのは『親』ではなく『子』だからである。どの親も人間的にもっと強く逞しい『子の姿』を見たいのは同じ。
そこに導くための『覚悟』や『我慢』は親がするものである。
2014/11/07 14:18