高校サッカーの強さと価値
今年6月に開催されるブラジルW杯。5大会連続で出場する日本代表の活躍が大いに期待されている。私も日本のサッカー界に携わる一人として、全力で応援したい。教え子が出場できたらもっともっと応援するが(笑)。
さて、現在の日本代表は海外のクラブに移籍した選手を中心に数多く招集されているが、海外で活躍している選手の多くは高校サッカー出身(高体連)の選手である。本田、長友、岡崎、長谷部、内田、細貝、川島、大迫など。過去には中田、中村、小野あたりも活躍していた。一方、Jクラブ出身の選手は、吉田、酒井、清武くらいではないだろうか。まだ記憶に新しい前回の南アフリカW杯においては、代表全23選手中、なんと19選手が高体連出身選手であった。今年Jリーグ発足22年目を迎えるが、日本サッカー界はこの現実をどのように受け止めることが望ましいのであろうか。関係者による20年前の予想は、おそらくJクラブの下部組織出身選手で埋め尽くされた日本代表をイメージしていただろう。しかし、その全く逆の現象が起こっている以上、その予想外の原因を見逃すわけにはいかないだろう。
私は、中学生から大学生の10年間を、将来の人間形成において最も大切な時期だと考えている。昔と比べ今の若者は、精神年齢が低く、20代後半であっても大人としてまだまだ成熟していない。少年達の口癖「ウザい」「ダルい」「キモい」が日常言語として飛び交う時代であり、今後の日本が大いに心配になる。
今年2月、Jリーグキャンプ視察で九州に出向き、最終日に鹿児島の『知覧特攻平和会館』を訪れてみた。17歳〜19歳の少年が、自ら命を絶つ為に操縦した『ゼロ戦』や、特攻前日に両親に向けて書いた『最後の遺書』をたくさん拝見してきた。すべて毛筆で書かれ、どれも見事に達筆であったのには正直驚いた。遺書の多くは両親への感謝の言葉が延々と述べられ、死を怖がって書かれたものは一つもなかった。終戦から70年が経ったが、今の平和に辿り着くまでの間に、一番大切なものまで失ってきた現実を改めて認識した。
近年の全国高校サッカー選手権大会では、毎年新しい優勝校が誕生し、ベスト4の顔ぶれも大いに変わった。しかし、その翌年から早々と姿を消していくチームが少なくない。我々は17年連続で選手権に出場し、2000年の3位や2009年の準優勝はあったものの、5年連続や4年連続でベスト16という結果が多い。しかし、あるメディアや関係者によってはこれを高く評価してくれる人もいる。過去に21年連続で全国出場を果たし、多くの優勝を誇り、国見高校サッカー部を全国の強豪に育てあげた小嶺忠敏氏が素晴らしい言葉を残している。
『普段から根気強く人間教育を行っているチームだけが強豪校として強さを持続していく』
非常に深い言葉である。日々の人間教育を徹底させなければ、強さを持続させることはできないという意味である。偶然的に生まれた一回の優れた結果よりも、日々の厳しい人間教育から大きく成長させていくことによって、毎年大きくぶれることなく、強豪校としてコンスタントに結果を残し続けていくことの難しさやその価値を述べているのである。高校サッカーというものは、『教育を通じて強い人間力を育む指導理念』や、『生活指導を含めた厳しい環境設定』が主で、指導者の情熱と多くの時間を要するが、プロや大学に行ってからも、もう一伸び、二伸びする選手が多いということが間違いなく実感できる。よって現在の日本代表に起こっている『高体連現象』は、必然的なことだというのが私の考えである。日本代表選手や成功したプロ選手は、『あの時代があったから今の自分がある』と口を揃える。我々高校サッカーの指導者は、選手達に『あの時代』を与えていかなければならない。それぞれが人生を振り返った時に『あの時代』を感じさせたい。
2014/04/10 10:30