こんにちは。今回の部員ブログを担当させて頂くこととなりました、理工学部4年の河端陸です。日頃から中央大学サッカー部を応援して頂きありがとうございます。
私は、11/3に行われたIリーグ最終戦を勝利で終え、プレーヤーとしての引退を迎えて、この文章を書いています。
今回は、自分の過去、また数少ない理工学部所属のプレーヤーとしての4年間を振り返って、今後の進路についても少しお話ししたいと思います。
セレクションで入部し、周りのメンバーにビクビクしていた男が、いかにして部員投票による面白い人ランキングで2年連続チャンピオンに登りつめたか。のテーマで書こうかギリギリまで悩みましたが、これはまた次の機会に。
私は、山梨県の都留高校という、高校サッカーファンには全く馴染みのないであろう県立高校でプレーしていました。その母校は当時、スーパーサイエンスハイスクールというものに指定されており、その影響もあってか、私は理系の勉強に強い興味を持っていました。そんな中、自分は夏のインターハイ予選、冬の選手権予選でどちらもPKを外し、大切な仲間を自分のせいで引退させてしまいました。関わってくれた方々に申し訳ないという気持ちももちろんありましたが、一方で、「こんな形で自分の競技人生を締めくくってたまるか」というなんとも生意気な心を持った男でした。
次の進路を決定する際に、自分の興味がある理系の道も捨てたくない、でもより高いレベルでサッカーを続けたいという欲張りな思いで大学を探し、そんなわがままを叶えてくれたのが中央大学でした。
中央大学の理工学部のキャンパスは、文京区の後楽園という所にあります。一方、サッカー部のグラウンドは、多摩キャンパスにあり、毎日電車でその両方と家を行き来する生活が始まりました。練習時間は多摩キャンパスの学生に都合のいいように設定されているため、授業があって練習に出られない日が、多い時には週に3日ほどありました。もちろん、自分の能力が低いことが全てなのですが、少ない練習回数でいくら頑張っても、どうせトップチームには上がれないんだという思いを何度となく抱き、毎回その思いを振り払ってグラウンドへ向かっていました。今考えると、辛く、厳しい4年間でしたが、継続できたのは、サッカー部には大好きな仲間がいたこと、またサッカーも勉強も自分が好きなことだったからということが大きいと思います。
4年間の最後の試合、私はピッチに立たせてもらい、90分戦いました。昇格がかかった試合であることは十分わかっていました。しかし、4年間の苦しみや辛さ、怪我の経験を思い出し、またどんなに辛い時も一緒にいてくれた仲間や家族、大切な人たちがいるグラウンドを見回すと、後半のアディショナルタイム4分間は涙が溢れそうになりました。最後の最後まで苦しんだからこそ、あの瞬間が、あの勝利が格別なものになったのだと思います。
何かに専念するために他の物を全て捨てて打ち込む。これはものすごく覚悟のいることだし、素晴らしいことだとも思います。しかし、自分のように欲張って自分のやりたいことを捨てずに全部やっちゃうという道もあり、それもとても魅力的で、こちらの方が自分には合っている生き方だと思っています。それはとても苦しく、厳しい道で、また、中途半端なやつだと周りに思われるかもしれません。しかし結果的に、自分の場合はこの欲張りな性格と選択のお陰で、「かけがえのない仲間との、心に残る最高の思い出(第1回の蓮見のブログより)」を作ることができたのだと確信しています。
中央大学の同期はたくさんプロサッカー選手になります。CBで言うと、同学年に自分を含めて4人いるのですが自分以外の3人は全員プロになります。なんて集団なのでしょう。一方の私は、春から東京工業大学の修士課程へと進学させていただくこととなりました。そこでは、自分の大好きなスポーツ、サッカーと科学を融合させた分野の研究がしたいと考えています。将来、プロになるみんなや、社会人として先に活躍している仲間達と、また同じ目標へ向かって、一緒に戦えるようになりたいなというのが私の密かな夢です。
下手くそで長ったらしいブログを書いた私ですが、それとは対照的に、私の実の弟の文章力は幼少期から素晴らしく、作家として既にデビューを果たしております。河端朝日という名前、ぜひ覚えて頂き、お近くの本屋で作品をお手にとってみてください。また、このブログの文章を見た出版社の方々、河端陸へのオファーも是非お待ちしております。
最後まで読んでいただきありがとうございました。今後とも中央大学サッカー部への応援よろしくお願いいたします。