聖カタリナ大学サッカー部オフィシャルサイト

つながり(前監督 末岡龍二)
2016年5月、聖カタリナ大学サッカー部の練習を見学するため、歪な形をしたおよそサッカーコート半面ほどの土のグランドに足を運んだ。そこにはサッカー部員と思われる若者が5人ほど一列に並んでシュート練習を行っていた。
 
「部員は5人?」
 
「授業やバイトがあって今は5人ですが、後で何人か来るかもしれません。」
 
しばらく練習を見学したが結局誰も来ないままこの日の練習は終わった。選手を引退して、アルビレックス新潟時代のチームメイトだった同い年の青野大介(現愛媛F Cジェネラルマネージャー)に誘われ愛媛F Cスクールコーチとして第2の人生を歩み始めた2016年1月。生まれたばかりの双子の赤子を連れ、家族4人で愛媛は松山市に住居を構えた。親族が近くにいない状況で今も続く双子育児と仕事の両立は大変だが、妻の頑張りと仕事量以上の我が子の可愛さ、スクールでは試行錯誤しながらも子供達に指導する楽しさ喜びを徐々に感じるようになり、毎日が充実していた。そのような生活が5ヶ月続き、ある日上司に事務所に呼ばれた。
 
「末岡君、6月から聖カタリナ大学サッカー部監督になってもらう。決定事項だ。」
 
どういうことかよく分からなかった。どこの大学かも分からない、指導者ライセンスもチームの指導経験もない丸裸の状態での異動。引き受ける以外、選択肢はなかった。ただ2003年アルビレックス新潟在籍時悲願のJ1昇格を果たした直後のシンガポールへのレンタル移籍からイングランド留学、タイやインドを渡り歩いた私にとって環境の変化は成長する場として潜在意識にインプットされていたので、自信はなかったがやる気のアドレナリンはふつふつと湧いてきていた。
 
聖カタリナ大学サッカー部は私が監督になる前年、四国大学サッカートーナメント2部(当時は2部リーグはなかった)を制し1部2部入替戦で愛媛大学と対戦。予想を覆し延長戦の末4−3で激闘を制し四国大学サッカーリーグ1部に昇格した。しかし当時の監督は1部昇格直後に聖カタリナ大学を離れ、そこから半年以上監督不在の中翌年のプレシーズンそしてシーズンを迎えることになった。いきなり全てを学生のみで運営することを余儀なくされ、案の定、その年の愛媛県サッカー選手権(天皇杯予選)は登録申請を期限内に行えず聖カタリナ大学は出場不可という事態に陥った。そのようなトラブルがある中、何も知らず初めて聖カタリナ大学のグランドに行くと5人だけでボールを蹴っていたという流れだ。
 
まず部員全員一緒に練習すべきだと思ったので、5限目以降の18:10に練習時間を設定した。しかし、大学グランドには照明設備がなく練習が長くても1時間ほどしかできない。秋以降は日照時間も短くなり練習開始時刻には既に暗闇。練習する場所がなくなった。大学近隣に照明設備がある公共スポーツ施設「北条スポーツセンター」と「文化の森」があるが、その施設を使用できるのも抽選で当選した週2回程度だった。今でこそ業務提携を結ぶ北条スポーツセンター関係者様のご理解ご協力のおかげで、素晴らしいコンディションの人工芝グランドをほぼ毎日フルピッチで使用させてもらうまでの環境を部員に提供できるようになったが、当時は就任半年後に大学グランド半面照らすL E Dライトを大学に設置していただいただけでも、そして少し部員数が増加し紅白戦ができるようになっただけでも、幸せを感じた。私だけでなく部員全員が同じ感情だったように思う。
 
そのような状況下で試行錯誤しながら部活動をスタートさせ、数週間後には四国大学サッカーリーグ1部5節(前期最終節)は高知大学戦が待っていた。当時の高知大学は推薦入試でセレッソ大阪ユース出身の選手など数多くの一般入試含む有能な選手が在籍し、四国大学サッカーリーグ・トーナメント制覇は何年も続いていた。総理大臣杯や全日本大学サッカー選手権で準優勝をするなど「四国の雄」として全国でも名の知れた存在だった。そんな高知大学との対戦が私の指導者としてのデビュー戦。結果は0−5で完敗。ゲームを常にコントロールされボールを奪ってもプレスをかけられ前進できない。ハーフラインを超えた回数も数えるほどで何もできなかった。その後も公式戦は続き聖カタリナ大学のパフォーマンスは上がっていったがなかなか勝ち点を積み重ねることができず、2016年12月最終的に入替戦で愛媛大学に1−2で敗れ、四国大学サッカーリーグ2部に降格することが決まった。試合後何人かの部員は涙を流していた。愛媛大学にリベンジされ2部に降格し数日間のオフを挟んだ後、チームミーティングを開いた。
 
「入替戦はお疲れ様。2部に降格したのは残念だけど、なぜこのような結果になったのか腹を割って話したい。何でもいいから言ってくれ。」
 
無言の状態がしばらく続いた。誰も発言する雰囲気ではなかったので「今の戦術はどうだ?」と1人の部員に投げかけたところその部員は少し考えた後「こんなにやり辛い戦術は初めてです。」と冷静に返答があった。その発言を機にそれぞれの部員が口を開き、チームへの不満、私への不満が出てきた。しかし私の答えは
 
「人のせいにするな。だから試合に勝てないんだ。」
 
というものだった。まず“人のせい”にしているのが監督である“私自身”だと気づくのにしばらく時間がかかった。そもそも腹割って話せと言ったのは自分なのに勇気を持って話してくれた部員の意見を受け入れらない監督って残念にも程がある。いい大人が恥ずかしい限りだ。案の定そこから2年連続1部昇格を逃すことになった。近年徐々に有能な高校生が聖カタリナ大学を選んでくれるようになったが、今思えば当時の部員もそれに劣らず能力が高い選手、そして性格的にも素直な学生は何人もいた。彼らの能力を引き出せていなかったのは私自身の問題だったのだ。多くの部員がサッカー部から離れていった。
 
それから徐々に選手の意見に耳を傾け、完璧には程遠いがオープンマインドでコミュニケーションを取ることを心がけるようにした。特に学生と一緒に子供の指導に関わったサッカースクールはまさに最高のコミュニケーションの場さらにはこれ以上ない教育の場だったように思う。サッカースクールで子供と接する中で、子供の純粋な感情をポジティブに引き出す作業を学生と模索していった。このような経験から「人(動物)は本来、主体的でありたい。主体的な行動こそが成長につながり、人生を豊かにするのだ。」という解に至った。主体的に行動するように導くことは難問であり、今後の私の人生の大きな宿題である。
 
各言う私も学生時代、1度だけ本気でサッカー部をやめようと思ったことがある。当時150名もの部員を要し1・2・3軍で構成される中京大学サッカー部で、マイノリティの一般入試組だった私は当然ながら3軍からスタート。当時1軍と3軍は学生登録で、2軍(C F C)は社会人登録。1年間プレーして3軍から1軍に昇格できなかったら見切りをつけられ2軍の社会人登録(当時愛知県社会人リーグ1部)となり、卒業まで1軍に昇格できないというジンクスがあった。一般入試ながら志を高く持っていた私は、C F C行きを言い渡され、1軍には絶対に上がれないことを先輩に吹き込まれていたので、これはもうサッカー部にいる意味はないのかなと一瞬退部が頭をよぎったのだ。しかし、自分なりに受験戦争を戦い、はるばる山口県の田舎から愛知県まで来て一人暮らしをし、ここでギブアップしたら高い学費を払ってくれている両親に合わせる顔がないと、2年生時に愛知県社会人リーグ1部で1年間覚悟を決めてプレーする決断をした。格好をつけるわけではなく本気で覚悟を決めていたと思う。そしてC F CでF Wとしてレギュラーを掴み、愛知県国体成年男子に大学生で唯一選出され東海地区予選を突破し本大会in熊本に出場、さらに愛知県社会人リーグ1部で優勝・東海社会人リーグ昇格を勝ち取った。そして私を含む3名が、前例のなかったC F Cから1軍に昇格した。それから全日本大学サッカー選手権で優勝し、プロの道へ進むことになった。
 
大学生は3年生後半、就職活動がスタートし、それを学業、部活、アルバイトなどと平行して行うことになり、心身共にハードな時期に突入する。そのような3、4年生の就活の進捗状況を把握し、励まし、内定を貰えば共に喜んだ(4年生全員見事に内定を勝ち取り、キャプテンの尾上は地道に勉強に励み警察官採用試験に合格)。今年の4年生はほぼ全員、コロナの影響で理不尽に延期が続いた入替戦まで部に残ることを決断し、共に戦い、四国大学サッカーリーグ1部残留を勝ち取った。彼らは覚悟を決め主体的に行動したのだ。素晴らしい振る舞いだった。
 
四国大学サッカーリーグ1部2部入替戦を最期に聖カタリナ大学サッカー部監督の業務を終え、今は愛媛FC強化部スカウト兼ヘッドオブエデュケーションとして毎日切磋琢磨している。大学時代1軍に昇格し、そこで出会った年代別日本代表にも選出されていた中京大学の絶対的エース山崎光太郎さん(現清水エスパルス強化部スカウト)に連絡を取り、スカウトのノウハウを学んでいる。聖カタリナ大学サッカー部監督としても、このような出身大学での“つながり”そして今までの長きにわたる国内外で培ったサッカー界での“つながり”なくしては、今の聖カタリナ大学サッカー部の発展はありえなかっただろう。本気で目標に向かって努力し、さまざまな壁にぶつかりながら共に前進してきた大学4年間、そこで出会えた仲間は一生の財産だ。もう監督と部員という間柄ではないのでしみったれた空気感はなしで、フランクにいつでも連絡してほしい。私にとってこの大学で関わった部員全員が社会という広大なピッチでのレギュラーなのだ。
 
GKコーチ黒河の最後のスピーチで「みんなのサッカーに対する態度から沢山学ばされた。これからの自分の人生に活かしていきたい。」という言葉が私の体に染み込んできた。U23まで年代別日本代表そしてJ1で長くプレーした黒河にそう言わせた君たちは自分に誇りを持っていいはずだ。さらにプロとしてハイキャリアを歩んできた男のマインドセット(考え方)は我々の今後の人生の大きなヒントになるだろう。「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」本当に大事なことだと思う。
 
高校までの指導者の皆様、大学関係者の皆様、四国大学サッカー連盟の皆様、そして保護者の皆様、それぞれ違った個性と魅力を持つ若者と聖カタリナ大学で出会うことができました。この出会いの機会を与えていただき、心より感謝申し上げます。今後もこの経験とご縁を大事にし、私の人生に活かしていこうと思います。そして、聖カタリナ大学サッカー部の卒業生、在校生、O Bのみんな本当にありがとう。また一緒に何か面白いことしようや。









2021/02/26 22:15
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