【名前】志摩朝日
【出身】鹿島アントラーズユース
【ポジション】MF
【秋重凜太朗から見た印象】
志摩朝日という男は、優しい男です。優しすぎて、その優しさによく傷つけられます。
「ご飯食べに行こう」と誘うと、「ガチあり」と毎回行くことを示唆してきます。それなのにも関わらず、行く直前になって渋りだし、結局行かないのです。恐らく彼は、断ると相手を悲しませてしまうと思っていて、優しいが故に断ることができないのです。だからその「断る」という行動を後回しにしているのでしょう。逃げているのです。
これは私たちの中では「志摩の行く行く詐欺」と呼ばれています。寮生の同期はみんな被害に遭っています。毎回注意しているし、いい加減改善してほしいものです。
ちなみに先輩からのご飯の誘いは何があっても断らないです。奢ってもらえますからね。
彼の危険な習性をもう一つ挙げておきます。「体毛薄いマウントをとる」です。
あの男に「毛薄いね。脱毛してんの?」などと言おうものなら、待ってましたと言わんばかりに怒涛のマウントが始まってしまいます。実際に脱毛に通う人には、「こちとら脱毛要らずの天然物でっせ」という顔をしている気がします。普通に嫌ですよね。
そんな志摩朝日のブログ、ぜひお楽しみに。ブログ書く書く詐欺してないと良いですね。
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『百折不撓』
今回の部員ブログを担当させていただきます
3年鹿島アントラーズユース出身の志摩朝日です。最後まで読んでいただけたら嬉しく思います。
『百折不撓』
幾度失敗しても志をまげないこと。なぜこのタイトルにしたのか、読んでいただけたらわかると思います。
私の地元は茨城県。魅力度ランキング最下位。これには納得できない。茨城にだって良いところはたくさんある。良いところって何だろうと考えた時、豊かな自然しか出てこなかった。
最下位の理由はこれかと納得した。
そんな地元で生まれ育った私が大山の麓で過ごす日々も2年が経った。1年目、一瞬だった。2年目、もっと一瞬だった。だけど、色んなことを経験できた2024年だった。その一瞬で終わった2024年を振り返ってみようと思う。
シーズン最初は自分の想像の斜め上をいく展開だった。中学からずっとやっていたボランチではなくセンターバックでのスタート。チームの事情によってセンターバックの人数が足りず自分がそこを埋める形になった。最初不安は多少あったが新しいことにチャレンジできるという自分のポジティブな特徴が生かされ前向きに取り組むことができた。また、スタッフから長谷部みたいになれとアドバイスもいただいた。ユース時代からもサイドバックもやることがあったので違うポジションをやることには不満はなかった。しかし、練習試合を繰り返していくたびにどんどんパフォーマンスが落ちていく。そんな中アイリーグの開幕が近づいていた。開幕前、最後の紅白戦。同じポジションに体調不良が出てスタメンのチャンスがきた。
その紅白戦で右膝の怪我をした。
あと少しで手術だったよと先生に言われた時はゾッとした。
そこからリハビリ生活が始まった。
Iリーグが始まり試合が消化されていくと、早く復帰して試合に出たいと言う気持ちが高まると同時に焦りも感じた。けど悩む暇もないくらいにリハビリがきつかった。朝の7時から始まり12時を過ぎることもよくあった。だけど、リハビリのメンバー、もちろん徳さん(徳永トレーナー)のおかげで成長できたと思う。
強くなって帰る。それは達成できたと思う。グランドを走っていると「待ってるよ」と声をかけてくれる人たちがいたから頑張れた。
いざ復帰し今年初めてのIリーグ、拓殖大学戦。
前半30分で交代。理由は左足首の捻挫。
「こんなことあるんだ」復帰してこれから大好きなサッカーができる。その試合でまた怪我をする。もともと怪我は多かったがこんなに短いスパンで怪我をすることは初めてだった。
常に前向きな自分がさすがに落ち込んだ。それでも試合中に
「お前なら帰って来れる」
と言ってくれた先輩がいて、その言葉が自分の中では大きかった。
いったくん(橋本一汰/新4年/東海大学付属相模高校)、ありがとう!
その言葉と自分を信じて1日1日地道にリハビリを重ねた。
そしてIリーグ最終節。日本大学戦。
降格プレーオフが決まっていたため消化試合ではあった。けど、自分にとっては大好きなサッカーをできる最高な舞台。最高に楽しかったのは今でも覚えている。だけど勝ちきれなかった悔しさも同じくらいあった。
正直、シーズン前に思い描いていた目標からはかけ離れたシーズンだった。だけど今こうしてサッカーができているのは周りの支えがあってこそ。
感謝を忘れてはいけない。
1番に感謝しないといけないのは家族。
帰省して家に帰るとおいしいご飯がでてくる。ご飯を食べながら昔話をして笑い合うあの時間が大好き。お姉ちゃん2人からも色々刺激をもらえてこの家族でよかったとつくづく思う。猫のミーとライからも癒しと元気をもらえる。
お父さん、お母さん。
20年間育ててくれてありがとう。
2025年。成人の日を迎えた。
昔の友達と会えて懐かしい思い出がたくさん込み上げてきた。
「プロになったら試合見に行くね」
「応援してるね」
と言ってもらえた。
自分のことを応援してくれている人たちをプロサッカー選手になって恩返ししたいと強く思った。だから、これからどんな高い壁にぶつかっても決して逃げない。
その目標から逆算して行動する。1日もムダな日なんてあるわけがない。
正直、高校の同期たちが関東リーグの舞台に立って活躍している姿を見ていると悔しさと焦りが込み上げる。けど、他人と比較しても何も生まれない。自分との戦い。
そしてなによりも1番近くで支えてくれている家族に少しでも早く活躍している姿を見せたい。
毎年関東リーグ1部昇格を目標にしているが、本気で目指そう。
1部昇格に貢献する。
産能大サッカー部全員の力を合わせて1部昇格を成し遂げましょう!
最後まで読んでいただきありがとうございました。産能大サッカー部の応援をこれからもよろしくお願いいたします。