【名前】中村駿太郎
【出身】千葉U-18
【ポジション】MF
【好きな芸能人】黒木メイサ
【野澤 陸 4年 (佐野日本大学高校) から見た印象】
中村駿太郎くんのプレーを初めて見た時は冗談抜きで天才だと思いました。足元の技術に長けていてそれにプラスで戦える選手です。でも1つ欠けている事があります。それは寝過ぎる事です。起きれません。
駿太郎はいつもはふざけていますが、試合になると人が変わるくらい熱い男です。そんな彼のブログは必見です!!
『幸せとは』
野澤君が「僕自身初めてブログを書くのですが」という入り方をしていたのですが、大抵の人はブログを書くのは初めてだと思うので僕はそんなこと書きません。
僕自身ブログを書くのは初めてなので、拙い文になってしまうと思いますが最後まで読んでいただけたら幸いです。
いきなりですが、1人の人が1人の人と出会う確率をご存知ですか?73億分の1という確率なんだそうです。こんなことを聞くと、胡散臭い怪しいビジネス大学生のように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。あとで携帯一つで月40万稼げるようになる方法のURLを貼っておくのでよろしくお願いします。冗談です。
申し遅れました、産業能率大学4年の中村駿太郎です。ここからは少し自分の過去について話したいと思います。
僕が言いたいのは、毎日くだらない話をしているその人と出会い、友達になれたことは、とんでもなく幸せなことです。
私は兄の影響でサッカーを2歳ごろから始めました。小さい頃から才能に溢れ、小学校の頃にはナショナルトレセンに選出されたり、フットサルの全国大会では準優勝に輝き、優秀選手に選ばれるなど、順風満帆なサッカー人生を歩んできました。中学、高校ではジェフユナイテッド市原千葉というJリーグクラブの下部組織で、毎日プロサッカー選手になるために努力してきました。
しかし、高校3年生の10月頃から自分の右足の感覚に違和感を抱き始めました。パスを出すにしてもいつものように蹴るとまっすぐ飛ばなくなってしまったり、リフティングをすることも難しくなっていきました。
原因不明の足の症状に、今までの努力が無駄になってしまう気がして、母の前で号泣したのを覚えています。
運良く産業能率大学に拾ってもらうことができましたが、大学に入っても足の感覚が戻らず、両親と相談し、大学2年までに足の感覚が戻らないならプロを諦めることしました。
大学に入ってからの2年間で約20の病院に行き、うまく説明できない足の症状を話し、必死に治そうとしましたが、結果的にプロを諦めることになりました。
プロを諦めることにした日から、今まで約20年間ブレずにあった夢がなくなり、このような原因不明の怪我をしてしまった自分は世界で一番の不幸者だと本気で思っていました。
ここで考えたのは幸せとは何かです。
サッカーでプロになれないことは不幸なのでしょうか?確かに、プロサッカー選手になれたら幸せなのかもしれません。しかし、サッカーから離れることで、今までサッカーしか見てこなかった自分の世界が一気に広がる可能性があります。
大事なのは幸せを感じる感度です。
目標や抱負を小さくし、幸せを感じるという意味ではありません。
高級料理を食べてやっと幸せを感じる人もいれば、おばあちゃんが作ってくれた味噌汁で幸せを感じる人もいます。
普段の友達との会話や何気ない日々に幸せを感じることができれば、その人の人生は何があっても幸せなのだと思うのです。
申し遅れました、ポジションはMFで主にボランチです。
長くなりましたが、僕が言いたかったことは、寮監は本当に優しく素敵な方ですが、それでも寮の点呼が10時は早すぎると言うことです。
最後に僕のサッカー人生を支えてくれた、家族、友人、指導者、チームメイトの皆様には本当に感謝しています。
七転び八起き、最後に立ち上がれば転んだことはうまく立ち上がるための糧になります。
社会人としての新しい中村駿太郎も一生懸命頑張ります。