#1 『逆境クエスト』 保竹駿斗(3年)
【名前】保竹駿斗
【出身】静岡学園高校
【ポジション】MF
【渡辺健斗から見た印象】
最初は小柄で足元の技術が高く、「The 静学」という印象を受けました。しかし、同じ寮で2年間生活を共にする中で、意外な一面を知ることができました。とにかく人間観察が鋭く、細かいところまでよく見ています。自分でも気づかないような癖まで把握されていて、驚かされることもあります。少し怖いと感じることもあります。
また、彼は大のTWICE好きです。好きなメンバーや新曲の話をするときは熱く語る姿が印象的です。寮でのリラックスタイムには、TWICEの曲を流している姿もよく見かけます。
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『逆境クエスト』
僕のこれまでのサッカー人生は、すべてが上手くいっているわけではなく、どちらかと言えば、思い通りにいかないことの方が多いです。挫折の繰り返しのサッカー人生ですが、それを乗り越えるための努力、周りの方々の支えがあってこそ、今でも本気でサッカーに打ち込むことができています。このブログでは、昨シーズンの振り返り、今シーズンの抱負を述べるとともに、私のサッカー人生を振り返ります。最後まで読んでいただけると嬉しいです。
僕は山梨県の西桂町という非常に小さな町で生まれ育ちました。僕のサッカー人生は5歳から西桂町のアミーゴス三つ峠というチームでスタートしました。ここでは、僕のプレースタイルの原点である部分の足元の技術を中心に、多くのことを学びました。今でもオフシーズンなどには、練習の場を設けてもらい、お世話になってばかりです。ここの指導者の勧めでヴァンフォーレ甲府のセレクションを受け、入団することに決めました。
小学4年生からは、ヴァンフォーレ甲府U-12に入団しました。ここでは、山梨県の各チームからエリートが集まってきたこともあり、その強度の高さに日々揉まれていました。調子が悪くて試合に出場できないこともありましたが、ほとんどの試合においてスタメンで出場することができました。このチームでは、県内のすべてのタイトルを取ることができ、世界大会などにも招待してもらい、非常にいい経験ができました。早い段階でジュニアユース昇格内定をいただきましたが、より自分のしたいサッカースタイルを追い求めて、親元を離れることを決意し、静岡学園中学校に進学することに決めました。
静岡学園中学校へ入学し、学校までは電車で片道一時間半をかけて通いました。ここではこれまで味わったことのない経験をたくさんすることができました。練習はドリブル、リフティングなどの技術を徹底的に磨き上げ、静学スタイルというものを叩き込まれました。また、中学年代では週1回8キロ、または10キロを走っていて、今までで一番走ったと言っても過言ではありませんでした。チーム内には誰よりも自主練をする選手、小柄なのに体が強い選手など常に刺激を与えてくれる仲間がいて、負けてられないという強い思いでサッカーに励んでいました。しかし、周りの選手の体が大きくなっていく一方で、小柄で細身だった僕は、周りの選手と実力の差が開いてしまい、試合に出られない状況が続きました。最後の大会が終わり高校に飛び級で練習参加する選手もいましたが、僕は最後の最後でなんとか高校生組に混ざることができました。高校は中高一貫であったので静岡学園高等学校に進学しました。
高校では、ポジションをトップ下からボランチに変えてプレイしました。小柄な僕が体の大きい選手と対等以上に戦うためにどうすればいいのか考え、自分の武器を確立させました。その影響もあり、1年では、ルーキーリーグで全試合フル出場し、日本一になることができました。2年では、県リーグで優勝し、プリンスリーグに昇格させることができました。そして1つ上の学年の選手権全国大会に帯同することができ、全試合ベンチ外でボールボーイでしたが、非常にいい経験ができたと思います。3年になり、高校年代最高峰である、プレミアリーグで戦えることになりました。ほとんどの試合でスタメンとして起用してもらえました。しかし、誰もが憧れる、中高6年間の集大成である選手権のみスーパーサブ要員。チームも負けてしまい、この悔しさは今でも強く心に残っています。敗退後の残りのリーグ戦では、スタメンで起用していただけました。もう大学ではこんな悔しい思いはしたくないと、産業能率大学へ進学することを決めました。
産業能率大学に入学し、初年度からトップチームに上がりスタメンで出るという目標を立てましたが、現実はそんなに甘くありませんでした。スタートは4つあるカテゴリーのうち一番下のカテゴリーでIリーグに出場しました。しかし、1年の夏オフ明けからトップチームに帯同することになりました。トップチームに上がったからには関東リーグに出て活躍したいと思い必死に先輩方に食らいつきました。しかし出場の可能性があった8試合のうち出場したのは2試合のみ。こんなに試合に出られない経験をするのは初めてだったため、本当に悔しい思いで頭がパンクしそうでした。
今度こそは多くの試合に出て活躍すると胸に誓い臨んだ昨シーズン。一秒でも試合に出場できたのは21試合中12試合。時間で計算すると2079分のうち936分。半分も試合に出ることができませんでした。またしても同じことの繰り返し。なぜ試合に出られないのか、自分に足りないものは何か、そんなことを一日中考える日々が続きました。しかし、出場した試合ではわずかながら手ごたえを感じていました。関東リーグでは、5節拓大戦でのフリーキック、12節早大戦でのオーバーヘッド、17節城西大戦でのミドルシュートの計3得点を挙げることができ、結果を残すこともできました。それ以外の部分でも試合を重ねていくうちに自信を持てるようになっていきました。途中出場した3節山梨学院大学戦、10節日本体育大学戦ではチームの流れを変えることができたと実感しています。とは言っても、全く満足のいく結果ではなく、自分の目標からは遥かにかけ離れていて、とても良いとは言えないシーズンでした。チームとしても、目標としていた関東1部昇格という目標には届かず、8位でリーグを終えました。しかし、そのような苦しいシーズンの中で見えてきたことも多くあったので、これもいい経験ができたと感じています。
今シーズンは、4年間の中で1番といっても過言ではないくらい大事な年になります。関東リーグでは、非常に厳しい戦いが待ち受けていると思いますが、全試合スタメンで出場できるような絶対的存在になります。また、試合の中で活躍し続け、選抜などにも絡み、スカウトの方々にアピールし練習参加させてもらうことを目標とします。そのためには、プレイの質はもちろん、フィジカル面でもまだまだ課題が多くあるので、1つずつ克服していきたいと思います。僕の中ではサッカー以外の部分がサッカーと同じくらい大事だと考えています。先輩や後輩をはじめとしたさまざまな方とコミュニケーションをとり、信頼のおける存在になっていきたいと思います。
これまでのサッカー人生は、才能なんかではなく、努力することで自信をつけてきました。この努力することも自分1人だけでやってきたわけではなく、家族や周りで支えてくれる方々のおかげです。そういった感謝の気持ちを決して忘れず、目標に向かって突き進みたいと思います。長い文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
2025/04/02 13:19