こんにちは。今回ブログを担当させていただきます。ふたば未来学園高校出身、二年の村上久伸と申します。
福島県出身ということもあり、関東に来て震災について聞かれることも多くなったので震災と今の自分について書いていきます。
福島県の富岡町というところで生まれた私は、小学四年生の時に東日本大震災を経験しました。原発事故の影響で次の日には町を出て、川内村、数日後には猪苗代町へ、一か月後には郡山市へと避難しました。多少の不安はあったものの、私自身は周りの人に守られてそれなりに幸せな日々を過ごしていました。
その中でも猪苗代の避難所はとにかく楽しかったのを覚えています。体育館の荷物置きのスペースに、毎日子どもたちで集まってはサッカーやバスケをしていました。大人たちはこの先の不安や、生活のストレスで一杯一杯だったと思います。あの時、体育館を駆け回っていた子どもたちが家に帰れない不安や、避難する前の地域の現実と恐怖に気づくのはそれからしばらく経ってからのことでした。
「私たち世代は震災を経験したが、震災の時にはただ助けられていただけだった。」
この事実に気づき始めたころ、多くの人が口をそろえて「将来福島で、双葉郡で活躍できる人材になりたい」と言い、学び始めます。上の世代が必死に守った福島に何かしたい、守らなくてはいけないと思うのです。小学四年生までしか住んでいないはずの富岡町に異常なまでの地元愛を持ち、似た桜はどこにでもあるのに夜ノ森の桜が世界一に見えます。とても不思議で少し傲慢にも感じますが、必死に頑張る大人の背中を見て育ってきた私たちにとって、それは自然な流れなのだと思います。
私は、大好きなサッカーで、プレーヤーとして福島に貢献したいと思っています。プレーで表現することはもちろん、猪苗代で感じたスポーツの人をつなげる力、震災を経験したからこそできるマイノリティへの共感、ピッチ外での活動、SNSでの発信等できることは無限大です。サッカーというのは一つの手段であり、競技だけを純粋に愛している人には怒られてしまうかもしれません。でも、サッカーと自分の想いが交じり合ったのはここでした。だからこそサッカーに全力で取り組み、大学で学ぶ。そして、様々な人との対話を繰り返し、ピッチ外でもサッカーの可能性を探り続ける。それが今の私の中での一つ答えであり、目指す姿です。
ただ、昨年一年間トップチームどころかアイリーグにも、絡めていない現状があります。原因は間違いなく実力不足です。周りからの評価は下手くそでわがままでダサいやつ。目指している姿とのギャップに苦しみ悩むときもあります。そんな時は、なぜ自分はサッカーをしているのか、どんな姿を目指しているのか、これまで見栄のようなプライドで隠していた部分とも全力で向き合うことが必要になります。自分だけで解決できない時もあります。でも、今は相談できるアツい同期がいます。さらに先輩や後輩、コーチ、周りには素晴らしい人がたくさんいます。この環境での残りの3年間、目の前の課題に一つ一つ挑み続け、プレーヤーとしても人間としても強く成長して行きたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。これからも青学サッカー部の応援をよろしくお願いいたします。
1 |
|