『プライド』/中戸川知磨
こんにちは。理工学部経営システム工学科3年中戸川知磨です。拙い文章ではありますが最後まで読んでいただけたら幸いです。
それでは本題に入ります。今回はプライドについてです。
まず始めにお伝えします。私はプライドが高いです。プライドが高いと聞いて皆さんはどんな印象を持たれますか?
周囲で話されている他人への悪口がよく聞こえてしまう私は
「あの人はプライドが高いよな」と悪口のように言うのをよく耳にします。さらに「プライドが高い人は嫌い」と言う人もいます。
プライドが高いことをネガティブに捉える人が多いように感じます。しかし私はプライドが高いことが悪いとは思いません。
私はこれまでの人生でこのプライドの高さのおかげで乗り越えてきたことがたくさんあります。サッカー、勉強、そして人間性の面で。
私は基本的にかっこいい人間でありたいと思ってます。つまりカッコつけです。ダサいことが嫌いです。そのため妥協するようなダサい自分でいたくない。サッカーでも、勉強でも、どんなにきついことがあっても妥協したらダサい、逃げ出したらダサい。プライドが許しません。
そんな私は学力が劣っているにも関わらず背伸びしてこの青学に入学しました。しかも理系に。周りの人たちは頭が良く授業での理解も早く、テストもできる。私ははじめてプライドを捨てました。高校までは正直、何でも出来るキャラでした。みんながそう言うから本当は馬鹿だけどプライドを高く持ち、できるフリをしていた。そうすることで妥協もせず全て完璧にこなそうと努力した。それが結果に出た。しかし大学ではすぐに馬鹿はバレてしまい馬鹿にもされるので、できないキャラでいこうと、周りの環境を理由に自分の軸を変えるダサいことしてしまった。その結果落単した。これまでにないほど妥協をした。高校までは100点を取るための勉強をしテストに臨むところ大学では60点(合格ライン)を取るための勉強をした。私は馬鹿なので60点の勉強ではとれて40点だ。
能力がないからこそプライドを捨ててはいけない。そう思った。
私はこの経験から、プライドの高さはきついことにぶつかったときにマイナス方向に働く気持ちを食い止め、成長を遂げるために必要なものであると実感した。これからの人生どんなことがあってもプライドが高い人間でいようと思います。
話は戻りますが、
「あの人はプライドが高いよな」と言う悪口の原因は単なる発言者の妬み、もしくはプライドが高いことが悪いのではなくその人の寛容性が低いことではないでしょうか。
私のようなプライドの高い人が危険なのはプライドが邪魔してるからと言って他人の意見を受け入れないことです。それだけは注意しましょう。
長々と私の考えを述べましたがあくまでこれは私の価値観で述べております。価値観は人それぞれ異なるので強要はしませんが一意見として皆様の頭に残れば幸いです。
貴重なお時間をいただきありがとうございました。
2022/06/26 09:33