「“普通”って何でしょうか?」
平素より大変お世話になっております。国際政治経済学部、新2年の杉本紀人です。拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
私には、絶対に曲げられないサッカー観に基づいた、表現したいサッカーがあります。それは、『90分間ボールを保持してゲームを支配し、全員攻撃、全員守備のトータルフットボールで相手を圧倒して勝つ。観ている人も、プレーする人も楽しいサッカー』です。この“普通じゃないサッカー”は、私が所属していたヴェルディユースで目指していたものであり、『メチャクチャ面白いサッカー』と命名していました。
私は、青学サッカー部にいる残り3年間でこのサッカーを追い続けます。日本全体を見ても少数派の“普通じゃないサッカー”を理解し、実現しようとする人間が青学サッカー部に殆どいない事は分かっています。
「身勝手だ!」
「理想論だ!」
「ここはヴェルディじゃない!」
間違いなく正しい意見です。ここは青山学院大学体育会サッカー部であり、その組織の一員である以上、過去に固執せず、この環境で求められる事をしなければなりません。そんな“普通の事”は百も承知です。それでも私は、自分の考えを曲げるつもりはありません。理由は2つあります。
1つは、自分を曲げる事は、私が考える“普通の人間”としての生き方に反するからです。あと3年程で、私のサッカー人生は終了です。この貴重すぎる残された時間で、自分を貫き、どこまで進む事ができるか挑戦するべきであると思います。勿論、周囲の考え方を全て否定し、聞く耳を持たないわけではありません。周囲の考えは、常に前へと進むチカラとなります。肯定的否定的問わず、他の考えを拒絶する事は、ただただ愚かな行為です。2つ目は、大好きなヴェルディの仲間に置いて行かれたくないからです。私は、彼らと同じ絵を描けなくなる事、即ち唯一無二の仲間を失う事が怖いです。『メチャクチャ面白いサッカー』は、みんなで共鳴していた『証』のようなものです。だからこそ、緑の仲間がこのサッカーを心の片隅で信じている限り、何があろうと私がこれを投げ出すわけには行きません。
どちらの理由も身勝手なものであり、青学サッカー部の仲間にとっては迷惑な話でしょう。それでも、同期は身勝手な私を受け入れ、笑顔が絶えない素敵な居場所を与えてくれました。上級生は優しさと厳しさを背中で示し、常に模範であり続けてくれます。心からサッカーを楽しむ人、ストイックに自分を高める人、真面目で頼れる人、個性的で面白い人、純粋で優しい人。青学サッカー部は”良い人”ばかりです。そんな“良い仲間”に対し、感謝を通り越して申し訳ない気持ちすらあります。だからこそ、犠牲心を持って仲間の為にプレーする事は、何よりも果たすべき最低限の責任だと思っています。当たり前の事ですが、サッカーは1人では出来ないスポーツです。まして私は、仲間がいなければ何も出来ません。そんな”普通の人間”が仲間に対する責任を放棄する事は、もはや大罪です。
大学1年生を終えた現在、『決して曲げられない自分が思い描くサッカー』と『青学サッカー部の“普通のサッカー”』、更には『仲間に対する責任』の狭間で彷徨い、ピッチ上で“普通の事”しか表現出来ていないのが現状です。ですが、狭間でもがく事が人生の楽しみでもあります。必ずや、全てを納得させる自分らしい答えを導き出し、『メチャクチャ面白いサッカー』に少しでも近づきたいと思います。大学を卒業し青学サッカー部の仲間と離れる時、4年間で築いたものが失いたくない大切なものだと言えたならば、進んできた道が正解だったと胸を張れるはずです。
書き終え読み返してみると、特に凹凸のない“普通の意思表明”のようになってしまっている事に気づきます。『部員ブログは自分を知って貰う機会』と位置付けるならば、ギリギリ単位は取れるでしょう。ですが、“普通の人間”から脱する日はまだまだ先のようです。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
そう言えば、「“普通”って何でしょうか?」
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