『母と恩師に学んだ事』/窪井篤志
こんにちは、青山学院大学体育会サッカー部法学部4年窪井篤志です。
この度は、引退を前に部員ブログを書く機会を頂きました。文字にすると上手く伝わるか分かりませんが、頑張りますので2、3分、いや長めに5分僕に下さい。
最近はだいぶ冷えて来ましたね。長袖の季節も無く、一気に上に羽織る季節になったもんです。季節の変わり目、皆さんいかがお過ごしでしょうか?僕は何ら変わりありません!
この機会に「4年間頑張ってきて良かった事」「その中で得られた事」 「4年間誰にも言わずに大切にしてきたこと」 「皆に伝えたい事」について書かせて頂きます。盛り沢山ですね〜
最後なんで書き逃げしてやろうと思ってます。
どんな感想も待ってますんで、読んでやって下さい。では、お願いします。
まず、「4年間頑張ってきて良かった事」これはもう部員の8割、いや、9割の皆分かるよね?なんなら欲張って皆分かるよね?
はい!正解!「筋トレ」ですね
この前ふと大場とのLINEを振り返ったら1年生の4月の段階で筋トレしよって見つけました。
そこからだいたい1200日、部活に行った日は毎日絶対筋トレルームに顔は出してます。もちろんレストの日もあるけど登場はします。
なんで行ってたかと言うと、部活に行く理由の一つだったからです。筋トレの理由は1番はサッカーに活かしたい。女の子にモテたい、いい体になりたい、海行きたいとか褒めてもらいたいとか、色々あって全部本当です。後は筋トレだけは絶対に裏切らないって事、誰かに裏切られた訳では無いけど、やったらやった分、休んだら休んだ分全部ちゃんと返ってきます。この成功体験の嵐のせいで完全に辞められない状態になりました。
だから何か変化が欲しい人には本当にオススメです。でも、それ以上に筋トレルームには、沢山の事が詰まってます。それは圧倒的「コミュニケーション」です。筋トレルームには先輩同期後輩、他部活色んな人が居ます。このルームのおかげでみんなと仲良くなれました。
入学した頃は筋トレしてる先輩は少なくて、その中でも達也くんとか横地とかがいじってくれて仲良くさせてもらったり、年々筋トレ始めて今ではほぼ皆筋トレするの当たり前の同期、入学した頃から当たり前に筋トレする後輩。今まさに青学に筋トレ革命が来てるなと思えるくらいです。
ここに行くだけで、皆と話ができるし、色んな話が聞ける。どんな人か分かるし、どんな事考えてるかも分かる!面白過ぎる
そのまま昼ご飯に行くのもお決まりになって良い事しかない。
そんな筋トレルームで得られたのは、筋肥大以上に大切な仲間です。めっちゃくさいけど、本当過ぎて恥ずかしさとかないです!
僕は思い返すと各場面で泣いています。人前では泣きたくないし、強がるタイプのやつなんですけど、耐えれないんです。
思い出してみると、誰かと会えなくなるタイミングです。小中学校の卒業は涙はなかったです。なぜなら地元だから全然会えるからです。でも、中学校のクラブの卒団は泣きました。県外に行く人もいるし、色んな中学校から集まってたので、会えなくなる可能性が大いにあったからです。となると、高校の部活の引退も泣いたし、高校の卒業はもう大号泣でした。楽しかった思い出もそうだけど、数少ない関東組で、仲良い人は関西や地元ばっかりであんな毎日会ってたのが、会えなくなる。この現実に涙が出てしまいます。
そして、その涙のタイミングがすぐ傍に迫っています。毎日の様に朝起きて練習に行く、皆に会える、筋トレルームで筋トレして話して、ご飯に行く、部活後も遊ぶ、これが出来なくなる。
引退した後はまだ皆と遊ぶことはできるけど、朝練は出来ないし、筋トレで高めあえる事も少なくなる。4月になればみんな違う場所で働いたりする。こんなに毎日会ってたのにそれが出来なくなる。そう思うと涙がもう今から危ないです。
それだけの人達に出会えた事が何より青学に来てサッカー部に入って良かったと思えるし、一生もんの経験だと思います。
そんなこんなで「この4年間誰にも言わずに大切にしてた」という言い方で3人くらいをつったはずではあるんですが、それは、「断らない」ってことです。なんだそんなことかとか断ったやんとかありそうですけど、まぁ良しとして下さい。
これは、母親と高校の恩師から学んだことで、母からは「自己犠牲」の大切さの中で、恩師からは「今のサッカーがある日常は残りの人生の非日常ということ」の中で学びました。
母親の自己犠牲ったらもう今考えるとゾッとするし、とんでもなく迷惑をかけたなと思います。さらに、それに対する見返りを要求する事なんて無かったです。当時、僕にはその気持ちがわからなかったし、僕のためにやってくれてても、ウザかったり、後からしか気づけなかったりでした。なんでそんな事が出来るのかこの3年半と最近の母親との会話で完全に繋がりました。
それはもう単純に「好き」って事でした。この3年半、遊びの誘いは断る事はほぼしなかったし、誰かにお願いされた事や、人が嫌な事は嫌と思ってもやるように努力してきました。でも、それで結果嫌だと思ったことは無かったです。自然と見返り欲しかったなって思ったことも無かったです。それは単に同期、後輩、先輩が好きだし、その人達の為になるならなんてことないって思うようになれたからだと思います。この事が分かっただけでも、十分な見返りを受けてるし、経験にもなったので、自己犠牲も悪くないし、結果的に自己犠牲になってなかったり、もちろんやり過ぎはダメなんで自分のキャパ超えない程度でいいんじゃないかと思いますが、ほんとに為になりました。
後は「今のサッカーのある日常は残りの人生の非日常」ということです。僕以外のほとんどの人も、今まで、サッカーがある生活の方が長いと思います。プロになるか、社会人などで毎日バリバリやらない限りは、もうサッカーをしていた時は非日常になってしまいます。これからあと60年は生きたとして、後10年サッカーをしたところで、人生の半分にも満ちません。だからこそ、今のこの日常に満足するんじゃなくて、勘違いするんじゃなくて、精一杯やれって意味だと思います。僕の場合長くて大学4年までのこの日常を楽しく、成長の為にやって来ました。だから、疲れてても断らないようにしたし、それだけは貫いてこれて良かったなと思いました。おかけで、色んな楽しい思いもさせて貰えてもうルンルンでした😘
ほんとにありがとうと思うばかりであります。
そんなこんなで、この4年間は「断らない」って決めてなるだけ生活して来ました。全然キツくなかったし、むしろ楽しくて、皆と仲良くなれて、いい経験でこれから先も、一瞬の感情などで危ない場面は来るかもしれませんが、踏ん張って、断らずに生きていけたらいいなって思います。
ここで終わりといきたいんですが、無茶苦茶な文章なので、量で質を圧倒してやろうと思い、まだ頑張ります。リタイアする人はどうぞして下さい。
最後に皆に伝えたいことは
「ありがとう」は絶対言いましょってこと
結局言われたいんやとかそういう事やなくて、自己犠牲と聞いて、ピンと来ませんでしたか?
マネージャーへの感謝です。
マネージャーの皆は本当の自己犠牲の鬼です。
正直、僕の自己犠牲と言ってる範囲はマネージャーに比べたらもう、ちっぽけなものです。
それなのに、仕事が出来すぎるもんで、皆で大甘えしてしまってます。もっと手伝って負担を軽減しないと、みんな寝不足なってしまう。だから、部員皆が少しずつ自己犠牲をしていけば、もう少し楽になると思うし、サッカーも、同じだと思う。切り替えの場面を誰か一人が少し頑張るだけで後の10人は楽になるし、同じ人がずっとじゃなくて回しながらしたら楽になる。それに、マネージャーが部員に任せても大丈夫って思って貰えるように皆で、少ない時間でも努力していけば、すぐじゃなくても少しずつ頼りにはしてくれると思う。
あと、雨の日の練習は自分達も大変だけど、動けないマネージャーのが大変だし、文句も言わず、サポートしてくれてるこの日常も当たり前じゃないってこと理解して、最低限「ありがとう」は絶対言お!
そしたら、もっともっと明るいいい集団になれる気がしてます。
ほんとに青学サッカー部で過ごせて良かったと思ってます。引退もしなくていいなら全然まだしたくないくらいです。ここまで、何不自由なくサッカーさせてくれた両親や今までの指導者の方、一緒にサッカーしてくれた人みーんな、ほんとに感謝の一言に尽きます。
ありがとうございます。
支離滅裂で、内容も、まとまりも無いですけど、お付き合い頂きありがとうございました。
ここまで、頑張れた方には、下記キーワードを感想と共に僕に言ってくれたらジュース差し上げちゃいます。
キーワード
「関東復帰」
さぁ、皆でやっちゃうよ〜!
2021/11/16 19:45