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『二十二歳のブログ』/寺岡潤一郎


こんにちは。
教育学部4年の寺岡です。

先日、本場のフットボールを体感すべく
ヨーロッパへ渡り、見知らぬ土地で見知らぬ人たちとボールを追いかける生活が始まりました。

ドイツ人にウクライナ人にスペイン人にブラジル人にベネズエラ人にインド人に、日本人。

正直、何も分からないし、めっちゃうるさいし、色んな言語が飛び交っていて毎日大変だけどみんなナイスガイで、なんだかんだ楽しいです。

東ドイツにある人口1000人くらいの小さい町に住んでいますが、週末になると100人を超える町の人たちが老若男女問わずスタジアムに集まり、ビールとソーセージを持って僕たちの試合を観てくれます。

"サッカーの国"であるこの国の文化に、
早速惚れ込んでしまっているところです。


引退ブログを書くにあたって今まで自分の書いたブログを読み直し、目を閉じて4年間をじっくり振り返ってみました。

19歳、20歳、21歳の時の自分のブログ。
部活、学校、バイト。

無限に出てくる思い出たちに圧倒されてついつい寝てしまうとこでした笑

冗談はさておき、、

回想中にすごく不思議な感覚に陥りました。なぜか苦しい思い出たちも思い出となると良い思い出として蘇ってくるなと。

さらに、昔のブログも、いつどこでどのように書いたのか全く覚えていないのに使われている言葉を見るだけで当時の自分の気持ちが鮮明に蘇ってきました。

"青春"と"言葉"には不思議な力がありますね。

さらにさらに、意外とこの部員ブログを自分の身内含め色んな人が目にしているらしく、中3の時の担任も読んでいたことが判明しました。

なので22歳の今回も自分の想いをしっかり"言葉"にして、今まで自分に関わってきた人たちに向けてブログを書いていきたいと思います。




地元の広島を離れてから7年目の年。


「サッカーで勝負する」


覚悟を決めた当時15歳の自分。


あの時見てた夢を叶えることは出来ただろうか。臆病で意志の弱かった15歳の自分。22歳になった今、九州や関東での素敵な出会いや経験が出来たことから、あの時勇気を振り絞って実家を離れることを決めた自分に本当にありがとうと伝えたい。


高校を卒業して2週間後くらいに上京してきて、遂に始まった大学生活。高校入学の時は不安とか親の存在の大きさに圧倒され、1人で涙をこぼしていたけど、大学生活の始まりはワクワクやドキドキといった胸の高鳴りが抑えきれなかった。


無理して青学入学を受け入れてもらった分、仕送りなしで生活すると親に伝え、部活、学校、バイトの日々を過ごした。しかし、高校時代とはガラッと変わった生活に順応するのは難しく、入部してすぐに肉離れ。今まで全然なかった怪我を受け入れれず焦ってばかりで、結局公式戦に出れたのは夏以降だった。


コンディションも一向に上がらないし、
プレーも全く良くならない。


「あれ、俺ってこんなにサッカー下手だったっけ」


そう思ってしまうくらい体と頭が言うことを聞かなかった。


高校まであんなに楽しかったのに。
あんなにサッカーに熱くなれてたのに。


学校の関係で部活に行けない日もあり、
心の底からサッカーに対して熱い気持ちを持つ事ができなくなってしまっていた。
それどころか、1年から関東リーグに出てる高校の同期たちの活躍を見て焦りが増すだけ。

サッカーのこと以外何も考えなかった高校時代と違って、時間も余裕も誘惑もある環境に物凄くとまどいがあった。


"大津高校のスタメン"
"選手権準優勝"
"クラブユース優勝"


過去の実績と今の自分が釣り合っていないことがよりプレッシャーになり恥ずかしいと感じる日々。変なプライドが自分を邪魔して、自分が天才ではなく、"平凡"であるという事実を見失っていた。


2年になってもコンスタントに試合に出れない、成長してる実感もない、やりたいポジションもできない。自分の中から「サッカー」という唯一無二の存在のものが消えかけていってた。"プロになる"そう誓って来たのに投げやりになっていたあの時の自分。言い訳や愚痴が増える一方で、夢を語る事ができなくなっていってた。


このままサッカーやめて広島で教員でもしようかなって思ったりもした。


でも2年の夏、何も得られないまま広島に帰省した際、もう1回自分を見つめ直そうと思える出来事があった。それは、小学生の頃からお世話になっている地元のチームの練習に参加した時のことで、純粋にサッカーを楽しんでるジュニアの子達や必死にレギュラー争いをしているジュニアユースの子達を見て、"サッカーを楽しむ"ということに気付かされた。


彼らはサッカーが特別上手いわけではなく、めちゃくちゃ強いわけでもない。それでも土の上で泥だらけになりながら必死にボールを追いかけ、先輩に食らいつき、勝負にこだわっていた。後輩たちのそんな姿を見て自分も本気で向き合ったし、無我夢中でボールを追いかけた。

ようやく思い出したこの感覚。

サッカーが上手いか下手かなんて関係ない、
上手くなりたい、試合に出たい、
を貪欲に追求し続けること。

サッカー選手として1番大切なことを忘れていたのかもしれない。


それに、地元に帰ると色んな人が自分のことを応援してくれる。


"この町の星じゃけぇ"って


いっぱい言ってくれる。本当に素晴らしい町や素敵な人たちに恵まれて幸せでしかないことに気づかされ、元気をもらった。みんなにかっこいい姿を見せたい、憧れの存在であり続けたい、その想いが一層強くなった。


人は、自分のためによりも"誰かのために"の方がパワーが出る。


もちろん自分のためにもやるのだけど、
そこには自分に関わってきた色んな人のためにもという想いも乗っかっているということを忘れないようにしていこうと思った。


孔子の言葉に、

"天才は努力する者に勝てず、努力する者は楽しむ者に勝てず"

というのがある。まさにその通りだと思う。何をするにしても楽しそうな奴には勝てないし、羨ましく思う。とにかく自分の人生を楽しみ、謳歌することが生きる意味なのだと思った。

しかし、そう簡単に現状を打開することはできなかった。チームは3部に降格し、個人としてはトップチームに上がったものの中々試合には出れなかった。

ただ前とは違い、長期的な目で自分を俯瞰し、自分には何が必要なのかを整理できていた。地道ではあるけど先を見据えてコツコツやっていこうと思っていた矢先、まさかのカテゴリー落ち。


3年の夏前だった。


(神様はまだ俺に試練を与えるのか、、)


まさに絶望だった。

ご飯は喉を通らないし、内臓の一部が口から出るかと思うくらい気持ち悪かった。

納得は出来なかった。

でも、このカテゴリー落ちは逆に開き直るきっかけとなり、


"こんなんじゃサッカーやめらんない"


サッカー選手としてやり切ったって言えないままサッカー人生に幕を下ろすことはできないと次第に思うようになり、海外に挑戦する覚悟を決め、再びサッカーに専念すると誓った。


なぜ海外を選択するのか。


どうしても知りたかった。これが俺の限界なのかということを。期待したかった。まだまだ俺はサッカーが上手くなるということを。

そして自由にサッカーがしてみたかった。
日本のような型にハマったサッカーではなく。

ベクトルは完全に自分に向き、苦手なプレーやもっと上達させたいプレーに対してこだわりをもって練習するようになっていった。


今は自分と向き合う時。
いつか必ずこの取り組みが実を結ぶ。


そう信じてやるしかなかった。
それから毎日目標や目的をもつ習慣がつき、その上でなにか感じる事があればノートに字を書いて整理するようにした。中学生の頃からずっと書いてる"サッカーノート"というツールは本当に自分のためになるんだと大学生になってようやく分かった気がする。


環境に左右されやすく、常に自分に厳しくし続けれない自分にとっては1番メンタルが安定する手段だった。3年目にして、技術よりもフィジカルよりもメンタルが1番大事ということに気づき、壁にぶち当たった時に跳ね返す力が俺には無かったということを知った。


大学サッカー3年目にして、本気でサッカーしてる自分に再会できた。


もう勝ちたくてしょうがない、
失点したら悔しくてしょうがない、
ボール取られたら腹が立ってしょうがない。


90分の中で自分の感情がこんなにも動くスポーツは他にないんじゃないかと思う。

サッカーはチーム競技でもあり、個人競技でもある。

ボールを持てばみんなが自分に視線を向ける。サッカーに決まりはないから自分の発想とアイデアで試合を動かせる。


これだからやめられない。


当時のカテゴリーのチームが崖っぷちに立たされ、1年目と2年目は必要とされなかったけど、今は必要とされてる。

チームのために必死に食らいついたけど
2部に降格してしまった。

物凄く悔しかったし、申し訳なかった。
だけど心のどこかに嬉しい気持ちもあった。
久しぶりにサッカーを楽しむ自分に会えたから。

さらに、今までずっと高校の時のサッカー観が全てだと思い込んでいたけど、カテゴリーによってまたは環境によってサッカーは変化していき、それに伴い求められる選手像も変化していくことに気付いた。当たり前のように聞こえるが、新しい価値観をすんなり取り込むということはそう簡単ではなかった。

初めての練習で縦パスを差しまくる自分のプレーにみんなが驚いていたけど自分の中では普通なことで変わったことではなかった。

しかし、総監督にそのプレーは通用しないと一掃されやむを得ず自分のスタイルを変えた。

試合に出るためには、その場所の需要にあったプレーをする必要があるのだと改めて感じた。


多くの気づきを得たシーズンになった。


そして満を持して迎えたラストシーズン。
正直ここまで満足してないけど後悔はない。サッカー人生で初めてと言ってもいいくらいの険しい山々を乗り越え、気づき、感じて逞しくなった自分。心・技・体への理解も深まりさらに自分との距離が縮まった。


4年生という立場、最高学年という責任、
自分が1年生の時に見ていた4年生のようになれているだろうか。後輩がリスペクトしたくなるような先輩になれているだろうか。

青学のために活動してきた1年。

このチームがこれから輝きを取り戻す事を信じてつくってきた地域との繋がり。

同期のみんなと切磋琢磨し、さまざまな感情を分かち合ってきた。自分が主人公になるようなサッカーはできず、ベンチから見守ることばかりだったけど、その悔しい経験も大きな財産だった。前期は特に、ピッチで輝くみんなの姿を見て素直に喜べず、悔しい気持ちが勝っていた。

表面上では喜び、それ以上に焦りを感じる。
それではダメだと分かっていても素直になれないジレンマ。

だけど、関東リーグ初スタメンで俺が点を取った時、みんなが祝福してくれた。
心の底から嬉しくて、今まで素直に喜べなかった自分が情けなく感じた。


"みんなのため"にも、"チームのため"にも
絶対に優勝したい。


この日ようやく自分に向きすぎていたベクトルがチームにも向くようになり、このベクトルを自由自在に操れるようになることこそが本当の"強さ"なのだと分かった。


途中出場がほとんどだった今シーズン。
後半の途中からピッチに入る時、
やる気と負けん気に満ち溢れているけど、
タッチラインを跨いだ瞬間、
電気が走ったようにピリッと感じるピッチの殺気。


みんなこんな戦場で戦ってたのかと少し武者震いしてしまうあの感覚。


最初からこのピッチに立っていたいと思わせてくれるあの瞬間がなぜか好きだった。
人生で初めての感覚を覚えてまた一つ成長したのかなと思う。

中々試合に出れないからこそどこかで違いを作らなければいけないと思い、ボランチだけど"得点"にこだわるようにした。

すると自分でも驚くくらい点に絡めるようになりプレーの幅が広がった。個人的な収穫はあったものの金子、玉井の牙城は崩せなかった。(納得はしてない微塵も。)


紆余曲折ありながらも1度もサッカーのことを嫌いになったことはなかったし、本気で辞めたいと思ったこともなかった。


大学4年間を過ごしたことで
間違いなく、またサッカーが好きになった。
そう感じる。


4年間関東で過ごしお金にはかえられない、
かけがえのない出会いや経験をしてきた。

サッカー部の同期や先輩後輩、学部の友達、
同じ授業で仲良くなった友達、そしてバイトの仲間。素敵な景色や時間を本当にありがとう。みんなのおかげで俺の大学生活はこれまでにないほどの幸せで溢れていました。

サッカーで落ち込む事が多かった俺をたくさん笑わしてくれたり、頼りない俺を支えてくれたりと学校の仲間とバイトの仲間には特に感謝しています。

みんなのために何かしてあげれた訳でもないのに試合の応援や急遽開催された送別会に来てくれたり、出国前にご飯誘ってくれたり、ディズニー誘ってくれたり、ITやろうやろうと言い合ってみたり、最後の出勤日に盛大に送り出してくれたりと言葉では表せない気持ちでいっぱいになりました。みんなは俺の誇りであり、家族でもあります。

会えなくなる1週間前くらいから毎晩夢に出てきて、毎日枕カバーを洗いました。

男なら人前で涙を流すなと父に教えられ、
最後まで必死に堪え続けて今では目がバキバキです。

みんなの些細な言葉が俺の背中を力強く押してくれました。心の底から出会えて良かったと思ってます。本当にありがとう。


4年間過ごした相模原という土地。


自転車は3回盗まれ、1時間に1回のペースで救急車かパトカーのサイレンを聞き、明らかに詐欺であろう少年サッカークラブも存在し、本当に物騒な街だと思っていたけど、今では名残惜しい。

放課後デイサービスの可愛い子供たちや街を盛り上げようと頑張る団体のおばさまたち、教習所のファーストサマーウイカみたいに綺麗な人。色んな人たちがおったなー。

そして大好きな矢部の町。

よく通った吉野家にいる大好きな店員、栗林さんと松原さん。手厚いサービスと拙いトークが忘れられない。

フードワンのカツ丼にクリエイトのチーズスフレには本当にお世話になった。(多分俺しか買ってない)

近くのセブンのメガネのおじさん店員(名前は忘れてしまった)は、2Lのお茶を買ってるだけなのに箸を絶対つけてくる。笑
あの人なりの優しさなんだろうな。

今思うと全てが愛おしい。
冒険家である自分には住みやすい町だったな。
ちゃんと別れを告げれず去ってしまったのがすごく後悔です。またいつか会いに行くね。


すごく寂しい気もするけど、早く次のステージに進みたい自分もいる。この4年間で得た知見や経験を糧にまだまだサッカー頑張ります。



最後に、家族へ


幼稚園の時1度サッカーを諦めた自分に再びサッカーをやらしてくれた父さん、母さん。
小3の時に風呂の中で想いを伝えたのを今でも鮮明に覚えています。思えばあの唯一の挫折が後に引けない覚悟を生み出してくれたのかもしれません。俺の進みたい道を最後までなんの不自由もなく進ませてくれてありがとう。
お姉ちゃんも含め渡航のことで迷惑かけて本当にごめん。めちゃくちゃ反省してます。俺の計画性のなさで散々振り回した挙句、実家に帰ってきたと思ったら24時間も経たずに家を出るというとんだ親不孝者であることは十分承知してます。俺1人では何も出来なかったし、結局ほとんどやってもらってばかりで会わせる顔もないほどですが、その分覚悟持って戦ってきます。高校の時、選手権決勝で国立に連れて行くという1つの夢を叶えられたけど、プロになって親孝行するというもう1つの夢をまだ叶えられていないためもう少しだけサッカーを続けます。国立よりもすごい景色を必ず見せると約束するので健康には気をつけててね。




これからの寺岡潤一郎の活躍に乞うご期待!



Viel Glück!!
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