『自分を取り繕う』/ 岩崎俊亮
こんにちは。
湘南ベルマーレU18出身、国際政治経済学部国際政治学科1年の岩崎俊亮です。
読み辛い文章ではあると思いますが、最後まで読んで頂けると幸いです。
皆さんは、「自分を取り繕う」という経験をしたことがありますか?
私には、19年間の人生の中で唯一つまらなかったと思う半年間がある。その半年間とは、高校3年生の夏から冬にかけての期間である。
高校3年生の春、私は今までずっと続けてきたサッカーを辞めた。
小学4年生から約10年間続けてきたサッカーを、飽き性の私でも飽きることのなかったサッカーを、いつも生活の中心にあったサッカーを、たった1週間ほどの熟考の末に辞めるという決断をした。
サッカーを辞めてから数ヶ月の間は、正直楽しかった。
学校が終わってすぐに電車に乗って練習に向かい、練習終わりで疲労困憊の中、電車に揺られて夜遅くに帰宅する、という日々が当たり前だった私にとって、放課後友達と遊びに行くことはとても新鮮で心の底から楽しいと思えた。
しかし、徐々に私の気持ちは変わっていった。夏のクラブユースで全国大会に出場し、楽しそうにプレーしているチームメイトを見た時。ふとした時に思い出す、練習に向かっていたチームバスの中でのくだらないバカ話。これ以上ない整った環境で、チームメイトと本気でサッカーをできた毎日が当たり前じゃなかった、という現実を突きつけられた。
そこからの毎日は充実していたとはとても言えず、心の底から楽しむこともできなかった。サッカーを続けている友達が羨ましかった。
その時、私は「自分を取り繕う」ことをした。自分自身が、サッカーを辞めたことを後悔したくないと思い、自分は楽しいと錯覚できるようにしていた。サッカーをしたい時でも、サッカーなんてやらずに遊びに行こう、と友達を誘ったこともあった。そしてなにより、サッカー辞めなきゃよかったのに、と周りに思われるのが嫌だった。サッカーの友達に会うと、辞めてからの方が楽しいと嘘をつき、自分は充実していると思われるようにしていた。
この行動が正解だったかはわからない。でも、「自分を取り繕う」ことをしなければ、劣等感に負け、遊ぶどころか受験勉強すらできなかったと思う。
「自分を取り繕う」ことをした、というのが冒頭で皆さんに問いかけた質問に対する私の答えです。
この答えが、皆さんにとってどう捉えられるかは分かりません。もしかしたら、ダサいと思われるかもしれません。
が、自分では後悔していません。あの半年間があったからこそ、楽しい今があります。また、「自分を取り繕う」ことをしたことにより、少しでも楽しい思いを出来ていたと思います。つまらない半年間でも最低限のことはできた、と今では思います。
ですが、もう一度「自分を取り繕う」ことをしたいとは思いません。まだ始まったばかりの大学生活ですが、4年間の大学生活を含め、今後の人生においても自分に嘘をつくことなく心から楽しいと思える日常を過ごしたいと思います。
心の底から楽しいと思える日常を過ごすこと、を大学4年間の目標として掲げてこのブログを終わりたいと思います。
長く拙い文章になりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
2023/09/25 07:55