『一生もんの財産』/ 金田匠人
『一生もんの財産』/ 金田匠人
平素よりお世話になっております。
コミュニティ人間科学部の金田匠人です。
色々なところからいじられてきた学部でしたが、4年も経てば愛着が湧いてきます。縦のつながりがサッカー部内で一番強い学部なので、後輩たちはこれからもコミュ会を継続してください。
毎年読むのを楽しみにしていた引退ブログを書く時がとうとう自分にも来てしまいました。始発で田舎路線に揺られながら約2時間かけて練習にいくこと、大富豪でバカ騒ぎしている同期を見ること、青学のみんなとサッカーしなくなること。どれをとっても寂しさを感じ、引退を実感しています。
部員ブログはそれぞれの秘めた想いを知ることが出来る貴重な機会だと思います。このような機会はなかなかないので、4年目を振り返って、4年間で大切に思ったこと、この2つを自分なりに書いていきたいと思います。
拙い文章ですが是非ご一読ください。
【4年目を振り返って】
サテBでシーズンをスタートし、いつまでもサテBを抜け出せない悔しさがありましたがそれ以上にこれまでの先輩たちのように何か後輩に残せるような4年生になると自分の中で覚悟を持って4年目を迎えました。
そうした想いを持って練習に取り組んでいましたが、Tリーグが始まる約1か月前の3月23日に右膝外側靭帯損傷で3ヵ月の離脱を余儀なくされてしまいました。
下級生の時からずっとなぜ4年生は毎年膝を怪我するのだろうと思っていましたが、4年目で自分の番が回ってきたことで何かの伝統なのだろうと少し納得する部分もありました。油断していると膝を怪我するので本当に気をつけてください。
冗談はさておき、とある練習試合の後、生意気にも祐人さんに自分のチームに対する想いをぶつけて、これから自分が引っ張ってやっていくと意気込んでいた矢先の怪我でした。
なぜサッカー人生初の長期離脱がこの時期なのかという悔しさ、チームのために何も出来ない情けなさ、それでもやるしかないという決意など上手く言葉に出来ない感情が自分の中に広がりました。
その後は、歩く事すらままならず何も出来ない日々がしばらく続き、グラウンドに行けるようになってからも、必死に戦う仲間を応援することしかできませんでした。
リハビリ期間を経て、6月中旬に復帰しましたが、最初はコンディションがあがらず、チームの中心としてやっていかなければならないのに、それが出来ないもどかしさがありました。
それでも徐々にコンディションが上がり亜細亜戦でゴールを決め、チームとしても勝ち点を多く重ねた良い状態で夏の遠征を迎えました。
夏の遠征では、祐人さんと個人面談をする機会があり、この面談が4年目のターニングポイントになりました。
そこで伝えられたことはプレー面で全く満足いってないこと、キャプテンとして背負い込み過ぎていることの大まかに二つの事でした。
確かに4年生としてチームを引っ張るようなプレーは出来ておらず、それがわかっているからこそ余計なことまで考えていてプレーしていたのだと気付かされました。
そこからは、とにかく必死にチームの為、自分の為に練習に取り組んだと自信を持って言えます。時には難しい状況もありましたが、かっこいい4年生としてのプレーや姿を見せることが出来たと思っています。
チームとしては良い結果を出すことは出来ませんでしたが、最後の試合を勝つことが出来たのは、それまで積み重ねてきたものが間違っていなかったということだと思います。
引退試合ではPKを外す経験をしました。
ゴールの左上に飛んでいくボールを見た瞬間はここで結果出せないのが自分の人生っぽいなと思っていましたが、人生のハイライトになるような経験が出来たと前向きにこの失敗を捉えています。
この経験も含めてここぞという時に結果を出せる人になるために必要な事も自分なりにわかったつもりなので、社会人では結果を出せる人になりたいと思います。
また、引退試合の後に、祐人さんからプレーと振る舞いが漢になったと言っていただきました。自分が思い描いていた姿になることが出来て嬉しい気持ちと同時に、その姿が後輩たちにも伝わっていると信じています。
サテBのキャプテンで、サテBのみんなとサッカー出来てとても幸せでした。
本当にありがとう!
【4年間で大切に思ったこと】
『私が4年間の大学サッカーで大切に思ったことは、「信頼」です。』
このセリフを何度就職活動で口にしたことか。
「信頼」
みなさんはこの言葉を聞いて、どんなことを思い浮かべますか。
苦しい場面でもチームを救ってくれる選手やなんでも話せる友達、口の堅い人など信頼の形は様々なことがあり、それぞれが思う信頼の形があると思います。
私が大切だと考えている信頼は、他人の為に行動する事によって生まれる信頼です。
この信頼を大切にしようと考えたきっかけが先輩の姿と学連の2つがあります。
まず、先輩の姿についてです。
青学サッカー部で出会った先輩方は、優しさ、面白さ、頼もしさ、まさに先輩としてかっこいいものを持った先輩達ばかりでした。
そんな先輩達の中でも特に印象的に残っているのが私が2年生の時の4年生です。
当時2年生の私は、1年生の時に少しではありますが、サテAに昇格した経験を含め、今シーズンこそはサテAから始まるだろうと高を括っていました。
しかし、カテゴリー分けの紅白戦を経て、LINEに送られてきたカテゴリーを見ると、サテBにカテゴリー分けされていました。何度もLINEを見返しましたが、事実がかわることはなく貴也に愚痴をこぼしていたことを覚えています。
現実を突き付けられた実力不足、昇格出来ない苛立ちが自分の中に広がっていきました。
事実を受け入れることがなかなか出来ずに、モチベーションも低下していましたが、当時のサテBの4年生達の姿を見るとそんなことで落ち込んで苛立っている暇はないことに気づきました。
どうにかしてサテBを勝たせよう練習から周りを鼓舞するキャプテンの磯君、膝がボロボロでもガチガチのテーピングを巻いて必死にチームの為に後輩の為にプレーするたくさんの4年生の姿を見て、憧れを抱き、心の底から尊敬し信頼していました。当時は甘えてばかりのがきんちょでしたが、がきんちょなりに考えて学んで成長することが出来ました。この経験があったからこそ、4年生でなるべき姿を正確に出来たと思っています。
青学サッカー部で出会った人は誰もが日頃の行動で信頼を表現しています。今回例に出したのが当時の4年生でしたが、他人の為に頑張れる人は、かっこよくて信頼できると4年間で学ぶことが出来ました。
次に学連です。
私は2年目から選手とは別の形で青学サッカー部に属しています。
それが学連です。学連とは簡単に言うと裏方です。
ホーム緑ヶ丘グラウンドでの関東リーグ運営に加え、2年連続ギオンスタジアムでの集中応援、日々の事務作業など色々な事をしてきました。
関東リーグがある日、青学がいる会場でスーツを着た私が何かしている姿を見たことがある人もいると思います。
こうしたピッチ外の部分での活動が増えることで、部内での立場が変わっていき、厚さんをはじめスタッフの方々が、チームの為に行動する私を見て、ピッチ外の事で何かあれば信頼して頼っていただけるようになりました。
ギオンスタジアムで関東リーグを開催するにはどうしたらいいか、ユニホームにスポンサーを付けるにはどうしたらいいか、緑ヶ丘グラウンドでの関東リーグ開催はどのように進めていくかなど、ありがたいことに多くのことを経験することが出来ました。
関東リーグ最終節後に厚さんからいただいた言葉が学連として活動してきた結果の一つだと思います。本当にありがとうございます。
他人の為に頑張ることで信頼を獲得し、組織の中での立場を確立し、信頼の大切さを学びましたが、信頼とは、なかなか厄介なもので欲しいと思った時にすぐに手に入るものではありません。他人にベクトルを向けるのではなく、自分から行動することで信頼を獲得することが出来ます。上手くいかないこともありますが、そこで行動を辞めずに、なぜうまくいかなかったのか考え続けましょう。そうすれば自分にとって良い結果を招くことが出来るはずです。
以上の2つの経験が、4年間で大切に思ったことです。他にもたくさん大切な事を学びましたが、長すぎる文章だと飽きられてしまうのでこのあたりにしておこうと思います。
各方面に感謝を伝えたいと思います。もう少し何卒お付き合いください。
両親へ
二人の支えがなければ、ここまでサッカーを続ける事は出来ませんでした。
これから少しずつ親孝行していきます。本当にありがとうございました。
感謝の気持ちでたくさんの感謝を伝えるので、嫌がらずにせっかくの機会だと思って楽しみにしていてください。
同期へ
1人1人が個性的すぎますが、それぞれがアツい想いを持っていて本当に面白かったです。
歳を重ねるごとに新たな一面が見えたり、今まで出会ったことのないタイプの人ばかりだったり学びもありました。
そんなみんなとサッカー出来たことやバカ騒ぎしたことなど同じ時間を共に共有することが出来たのは、大学生活の全てをつぎ込んだからこそ得られたものであり、みんなと出会えて本当によかったと心の底から思います。
日常的に会えなくなることは寂しいですが、それぞれがそれぞれのステージで頑張りましょう。
本当にありがとう!たまには集まろうね
最後に
人生最後のモラトリアムと言われる大学生活で青学サッカー部に入部するという決断をした自分を誇りに思います。
最高の時間をありがとうございました。
2024/12/25 23:13