『さっかあがんばれたかな』/金子星太
サッカーと出会ったのは3歳。1つ上の学年の親に誘われ、初めてボールを蹴った。何も覚えていないが、サッカーというスポーツに何かを感じることができたから、ここまで続けたんだと、自身の多くのことに興味を持たない性格から確信している。
何も出来なくて試合中コートの隅で砂遊びをしていた3歳、ゴール前でシュートの姿勢をしてひたすらボールが目の前に来るのを待っていた4歳が、5歳になった途端、何もかも上手くなった。ボールをけって走れば相手を抜けるし、シュートを打てばだいたい入る。
けど1度だけサッカーが嫌になって練習に行かなかった時期がある。その期間をあけたのにも関わらずもう1回サッカーをやりたいと言ったらしい。
親に、もう簡単に「嫌」なんて言わないと約束の言葉を紙に書かされサッカーを続けた。この時期くらいに「あ、俺ってサッカー選手になりたいんだ」と夢が明確になったと思う。
その期間に出会ったのが、千葉寛汰、鈴木奎吾、菊地脩太である。エスパルスのスクールで毎週顔を合わせるが、寛汰とは「高部JFC」という同じチーム、奎吾と脩太とは別のチームで切磋琢磨していた。
ここから小学校を卒業するまでは清水区の大会になるとだいたいこの3チームで優勝を争う。そんな日々だった。
けど高部JFCだけ寛汰と自分の2人が居たため、他の2人よりかはちょっとだけ試合に勝つことが多かったと思っている。
県大会を優勝することができたのはいい思い出である。
小学校6年間はこの4人で清水を盛り上げていたと言っても過言では無いくらいの活躍っぷりを見せて、晴れて4人で清水エスパルスのジュニアユースに合格した。
サッカーを初めてから在籍させていただいた、高部JFCというチーム、そして「設樂幸志」監督が居なかったらここまでサッカーを続けて来れなかったと断言できるほど、感謝してもしきれないチームと人である。
ここで金子星太という選手が育った。とにかくゴールを考えてプレーすること、自信を持ってプレーすること、仲間を思いやる気持ち、何もかもここで教わった。試合に負けて、他のチームが試合をしている1試合分、1周1kmの外周を何周も走って、すぐまた試合をする。そんな地獄も良い思い出だ。
こうした日々のおかげでここまでサッカーを続けることができた。
これから必ず恩返しをしていきたい。
中学時代は、春の大会で1度全国優勝を経験したが、それ以外の試合は中々勝つことができず、東海リーグでは空斗のチームに負け、クラブユースでは武田のチームに負け、肝心なところで勝つことができない3年間だった。ここで脩太は初めての代表を経験し、自分も頑張らなきゃとずっと思っていたのをよく覚えている。寛汰は怪我が多かったのを覚えているが、小学校の時には見たことがない意識の高い姿を見て、「寛汰凄いわ」と個人的に思っていたのも覚えている。
ありがたいことにユースに昇格することが出来たが、ここで大きな壁に初めてぶち当たる。
最初の1年間はAチームの練習にすら入れない。全体の練習でアピールしなきゃ行けない場面も失敗しないように、気を使って、それなりにプレーして、思い切ったプレーができない。寛汰と脩太はプレミアリーグにデビューしているのに、自分は何も変わろうとできない。上手くいかないのを何かしらの言い訳をつけ逃げていた。本当にこの1年間はもう無理だと何回も思った。正直とても辛かった。
多分奎吾もこの1年間は辛かったと思うが、意外と奎吾はそういうの表に出さない。
でも俺は奎吾が隣で苦しんでるのを分かっていたから、奎吾も居るから大丈夫と何回も自分に言い聞かせてたのを思い出す。
とにかくAチームの2年生や3年生に色々要求できてる寛汰と脩太が羨ましかった。
だからこそ4人で出た国体で優勝できたのは本当に嬉しかったし、今後も一生忘れることのない出来事だろう。
高校2年生になっても試合に出れない期間が続いたが、先輩の怪我もあってか、秋くらいからスタメンで使われるようになり、そこからサッカーへの自信を取り戻していった。
結論から言うと、この期間ですら甘かったんだと今なら分かる。試合に出てそこそこ良いプレーができて満足していたのがいかに勿体なかったか、もっと自分にストイックに活躍したいという気持ちを表に出すべきだったと思う。
この時から田中先輩に怒られる時はだいたい気持ちが弱い時だった。非常に反省している。
冬のクラブユースで奎吾のアシストから取った点が人生でいちばん嬉しかった点だ。
ちなみにこの時期には奎吾が代表候補に選ばれ、寛汰も代表に完全に定着し、差を痛感しつつ悔しい気持ちでいっぱいだった。
そして高校3年。開幕5連勝、沼田の青森山田にアウェーで勝利、プレミアリーグEASTでは最終順位2位になり、個人としてもシーズン6ゴールなど、サッカー人生でダントツで楽しい1年間だった。優勝しか考えてなかったクラブユースでは文都に負けベスト8。心残りはこの大会で優勝できなかったことくらいである。
1-1で終わった流経との最終節で脳震盪になった奎吾が試合終了後、「勝った?」とアホ面で聞いてきたことは一生忘れない。勝てなくて悔し泣きしたのに正直ちょっと面白かった。
しかし、寛汰と脩太がトップチームへの昇格が決まったり、奎吾も代表に入ったりと、変わらず3人には勝てていないことが悔しかったし、追いつきたいとずっと思っていた。
3人に頼っていた自分が情けなかった。
絶対に追いつきたいし、3人とプロの舞台に立ちたい、何ならアイスタ(エスパルスのスタジアム)に4人で立ちたいと本気で思った。
こういった思いから大学ではそんな自分を変えたい、今度は自分が先頭に立って、チームを強くしたい、それがプロになるために自分に1番必要なことだと本気で思って、田中先輩が所属していた当時都リーグの青山学院大学に進むことを決意した。周りは青学は逃げだと、そう感じる人も居たかもしれないが、そんな人たちを見返す気持ちで大学に入った。
大学1年。もう一緒にコーナーを蹴る奎吾も、奎吾が走ってる相手FWの背中のスペースにワンタッチで置きたがる脩太も、シュート打てば入るし、自分の裏抜けを信用してパス出してアシストしてくれる寛汰も居ない。
覚悟を決めて3月からの練習に取り組んだ。それが評価されたのか、トップチームには1番早く上がることができたが、そこからチャンスを掴めず、後から上がってきた空斗や悠がメンバーに入り、自分はメンバー外(+1)として試合の映像を撮ったり、水を入れたりする日々。高校時代の大してすごくない栄光から来る謎のプライドから空斗と悠には笑顔で「まじ頑張れ」、サテライトの同期には「またバー外だ笑」などと明るく振る舞う自分。家に帰り1人になった瞬間「空斗と悠の背中を見てまた高校時代と同じこと繰り返すのかよ」と下を向く。
後期に入り、ボランチに怪我人が続出したことで、主戦場の左サイドを捨てボランチとしてメンバーに入るようになり、少し試合に絡むことができた。これは自分の強みだと理解していたので、千綿君や、関根君、達也君など、当時の4年生の力に少しでもなれたことを光栄に思っている。
関東3部リーグへ降格した屈辱の大学2年。1年で2部へ復帰できなかった大学3年。試合に多く出させてもらっていたのにも関わらず、チームの力になれなかった、そんな悔しいことしか思い出せない2年間を過ごし、大好きなエスパルスの先輩である隆斗君や田中先輩、大きい背中の磯村が引退。
もしかしたら3年生くらいからは自分がプロになることより青学がどうしたら強くなるのかを考え続けていたのかもしれない。
モヤモヤしてきた時に必ずゆうとさんに言われる、「まず自分のためにプレーしろ」と。
これが最後まで出来なかったのが少し悔しい。ゆうとさん、すみません。
そして迎えた大学ラストイヤー。
自ら主将に志願し、チームの先頭に立った。
とにかく、青学のために戦いたいと思った。
とにかく強い青学を取り戻したかった。
厚さんや酒井さん、ゆうとさんに青学が強かった過去の話を聞くたび、やっぱこのチームは3部にいちゃダメだと何度も思った。
始動してから同期のみんながピッチ外、ピッチ内の両面で想像していた何倍もの力を使ってくれている姿、それに頑張って付いてきてくれる後輩たちをみて、今年こそは絶対俺が2部にあげなきゃとずっと思っていた。
しかし結果は7位。
1年間の同期のチームを引っ張る頑張り、後輩の「もっと上のリーグでやりたい」という熱い思い、マネージャーたちの献身性、コーチ陣の選手と向き合う姿勢、厚さんの今年にかける思い、その全てを昇格という形で目に見えるものにすることが出来なかった。あまりにも悔しかった。主将としての責任を果たせなかったことに苛立った。
でもなぜか11月15日のあの笛を聞いた瞬間、「不甲斐ないな」という気持ちの次に「終わったのか」と肩の力が抜けてしまう自分もいた。
新チームになった当初はチームがまとまっていくことで付く自信、試合に勝つことで感じる高揚感、自身のプレーも好調で全てが楽しかった。
でもいつからかキャプテンとして強い存在で無ければいけないと思い込んでしまっていた。
自分はキャプテンなんだからミスをしてはいけない、ミスをしたらキャプテンなのにとか、エスパルスなのにとか、正直星太要らなくねとか皆に思われるだろうか。自分が少しでもサボったら、あと1歩を頑張らなかったら、チームは失点して負けるんじゃないか。自分が弱気になっていることを部員に悟られたらキャプテンとして失格だと、練習の雰囲気、その週のリーグ戦に影響が出る、だからいつも通りの俺でと何回も何回も家の玄関の鏡で言い聞かせてきた。
自分のせいで負けたアミノの次の週の練習ほど強がって仮面を被ってた日はない。なぜならその試合の後でもその週の始まりの室内のミーティングでもどんな時でも俺がみんなの前で喋るから。俺が弱気じゃだめなんだ、俺だけは強気じゃないと。
「弱さ」をみんなに見せるのが本当に怖かった。
それが正しかったか間違っていたかは分からないが、強気の言葉を言い続けたことに後悔はない。こんなに少しも気が抜けない1年間は初めてだった。ピンピンに張っていた糸があの笛で緩んだ気がした。
「やっぱキャプテン俺じゃなかったか」
1年間で何回か自分に言ったこの言葉。下を向きたくなっても、思い出したくなくても、なぜか浮かぶのは同期の顔だった。
本当になんでかは分からない。
まじで何も考えたくなくても浮かんできた。
プレーできないのにベンチに毎回入ってくれる輝一、ベンチ外でも全力を尽くして試合終わりに必ず声をかけてくれる星凪、どんな状況でも「俺、居るよ」と不気味な笑顔でハイタッチをしてくる乃安、毎日自主練してる悠、安藤、直也、登爽のWB陣、対面パスをし続けるだけで笑顔になっている武田玉井ペア、そういう同期が自然と浮かんできて、「はぁ、」と嫌でも前を向かされる。
というか、やっぱり俺は下向いちゃダメだっていう所に行き着く。だから上を見続けられたし、良い意味での仮面を被り続けることができた。
仲間に助けられ続けたんだと今になって強く感じる。
そんな経験をさせてもらったこのチームに本当に感謝しているし、大好きだ。
だからこそ本当にこのチームで勝ちたかった。
でもダメだった。何がダメだったのかは今でも分からない。けどこの1年間で無駄だったものはひとつも無いと断言したい。確実に青山学院大学は強さを取り戻す道を辿っている。4年生は何も残せなかったと、後輩たちはまたダメだったと、自分たちの価値を下げることはしなくていい。
この1年間、コーチ陣、マネージャー含めた部員全員が目標に向かってチャレンジし、全員で強い青学を取り戻す基盤を作ったんだと、胸を張って欲しい。
その証明を駿也馬を主将とした来年のチームが必ずしてくれる。
10年後、20年後の青山学院大学が強くあり続けるために必要なことを少しずつ備えていって欲しい。和田、頑張れ。
こんなサッカー人生を辿ってきた私だが、4年間でプロになることはできなかった。
そして、このタイミングで競技者としてのサッカー人生に区切りをつける。
理由は単純、「這い上がれない」と思ってしまったからだ。この気持ちを持った時点で俺は負けたんだと悟った。
正直パッとj3のチームの中に入れば何年でもやっていける自信がある。過信だと思われるかもしれないけど、本当に自信がある。
けどそのj3のチームにさえ声をかけて貰えない自分がいる。
そして、JFL 、j3からj1、その先まで這い上がる未来が見えなかった。
挑戦すらしていないのに未来が見えない、そんな半端な気持ちのやつがサッカー続けてたら裕真や空斗、武田に乃安、玉井に潤一郎みたいにただ上を見て、自身の可能性を広げようとしている本気の選手たちに失礼だと思ったし、奎吾や寛汰、脩太みたいにプロの世界で自分を見つめ続けて努力を止めない選手たちに追いつけるわけがないと思ってしまった。
4年間通して一定の周期である言葉が頭をよぎる。
「青学に来たの間違ったかな」
正直絶対プロになりたかったし、サッカーを死ぬまで続けたかった。けど4年間でプロになった同級生とは差がついた。一生埋められなかった。
引退して今分かった。
環境や自分以外のことを理由にして逃げていたんだと。なんとなくプロになれるしょって軽はずみに思っていたんだ。
頑張るのなんて当たり前だ。その10倍頑張らないとだめだった。
もっともっと馬鹿になるくらい努力しないと掴めるはずのない夢だったと終わってから気づいた。
こんな後悔を二度としたくない。
二度と経験できないこの4年間を無駄にしない為にも、自分に正直に、謙虚に、逃げずにこれからを生きていきたい。
これまで本当に多くの素敵な指導者や数え切れないほどの仲間に恵まれ、ここまで本気でサッカーに向き合えて幸せだった。
あんなに意気込んで大学に入ったのに結果を残せず、ずっと夢見てたプロサッカー選手になることはできなかった。
とても悔しいが、サッカーを通して多くを学び、夢のような時間を過ごすことができた。
サッカー、本当にありがとう。
熱い空斗と酔っ払った厚さんに「人生一度きりだ」と頭が痛い中言われ続けたのでどんな形であれ、これからもサッカーには関わることを宣言する。
最後に少しだけ感謝と伝えたい気持ちを。
お母さん
「サッカー」という宝物を授けてくれてありがとう。いつでも優しくプレーを褒めてくれたことは自分にとってすごく大きな自信になっていたと思います。
小さい頃の父がお風呂に入っている時間にしかできない「秘密の特訓」のおかげでサッカー上手くなったと今でも本気で思ってます。
これからも迷惑をかけますがよろしくお願いします。
お父さん
まずは、青学に通わせてくれて本当にありがとう。
小さい頃、自分の調子が悪いと思った時には、家の前でドリブル練習をしようと誘ってくれたことをすごく覚えています。その時は、調子悪いのにやりたくないよと思いながらイヤイヤでやってたかもしれませんが、今思えば優しさだったんだと分かります。
これからもたくさんお世話になります。よろしくお願いします。
みく
まずは4年間本当にありがとう。
ずっと続けてきたバレーを高校で辞めたみくにとって、すぐ近くに仲間がいて、そんな仲間と目標を追い続けることが出来る自分の環境が凄く羨ましかったと思います。
そんな中でもみく自身の「スポーツ栄養士」という夢を見失わずに勉強に力を注いでいる姿はプロサッカー選手を目指していた自分にとって頼もしい存在でした。
つい先日、武田とみくと3人で温泉に行き、丸源を食べ、家まで送ってもらい、武田にまじでjリーガーになれよと2人で言い、別れた直後にしれっと「武田より先にみくがjリーグの舞台に立つ(スポーツ栄養士として)」と言っていたので僕はそのよく分からない面白そうな戦いを見届けたいと思います。
サッカー部のインスタもフォローせず、あんまりサッカー部の応援はしてない雰囲気を出してるけど、みんなの引退ブログを読んで涙を流すくらいには青学サッカー部のことが好きらしいです。
とにかく、これからもよろしくお願いします。
寛汰、脩太、奎吾
これからは純粋に3人のサポーターです。3人とサッカーをできたことが自分の誇りです。たくさん試合で活躍する姿を見せ続けてください。今度はサポーターとして追いかけ続けます。
あ、おまけで田端も。笑
長くなりましたが、ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。
サッカー以外の道を走ったことはないですが、新たな道でも走り続けていきたいと思います。
最後に、「さっかあたのしかった!」
5歳の俺、サッカー続けてくれてありがとう。
2026/01/12 18:30