『続ける』/山田智暉
こんにちは。今回の部員ブログを担当します都立駒場高校出身、社会情報学部2年の山田智暉です。拙い文章ですが、最後まで読んで頂けると幸いです。
“続けること”、これは正しいことなのだろうか
高校3年の冬、人生で最も多くのものを犠牲にして全てを懸けていた高校サッカーの幕が“ピッチの外"で閉じた。
当時、怪我をしており、サッカーができる状態ではなかったため、プレーをできずに終わってしまった。そんな私の心は不完全燃焼な気持ちでいっぱいだった。
こんな気持ちでサッカー人生を終えたくない
そう思い大学サッカーを始めた。
周りはJユースや名門校の選手など上手い選手ばかりで、全てが新鮮で毎回の練習が刺激的であった。大学サッカーはやりがいがあるし、本当に面白い。
ただ、高校サッカーの延長という気持ちで始めた私には“プロになる”というような明確な目標がなかった。
もちろん、他の選手には負けたくなかったので、練習は真面目に、必死に食らいついて上手くなろうと日々取り組み“続けて”いた。
すると、シーズン後半になるにつれ、練習や試合をする中、体育会でサッカーを“続ける”意味がわからなくなっていた。
朝早くに起きて、練習をして、授業を受けて、バイトをして、寝る。
そんな生活を淡々とこなし、いつしか私は“続ける”という言葉の美しさに甘えて、時間を消費するだけの人間になっていた。
そんな自分が嫌で本気でサッカー部をやめようと考えていた。(何人かは知っているはず)
“続けること”が正しいのか何度も考え、沢山の人に相談をした。話を聞いたり、本を読んだりするうちに“続けること”には二つの意味があると考えるようになった。
それは
“何も考えず淡々と自らを摩耗し続けること”
“目標や夢を持って自らを研磨し続けること”
の二つである。
ただ時間を浪費し、唯一の平等である時間を無駄にし“続ける”のか、時間を有意義に使い、少しでも成長し“続ける”のか。
私は後者になりたいと考え、熟考の末、自らの目標を再設定し、サッカーを“続けること”に決めた。
この分岐点で“辞める”決断をした方が良かったのか、“続ける”決断をした方が良かったのかはわからない。ただ、これからの自分の行動次第で変わることは確かである。
だからこそ、自分の人生に悔いが残らないよう、成長し続けたい。
長くまとまりのない文章となってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます!
2022/05/19 22:12