『自分が凡人とは思えない人』/泉舜大
経済学部4年の泉舜大と申します。自分の中でもまとまりきらない部分もあるので、支離滅裂な文章になるかもしれませんが、読んで頂ければ幸いです。
「何か他の人とは違うモノを持っている気がしてるけど、現状思い通りの結果が出ていない。でも最終的には、色々なことがうまく回りだしていい思いができるはず」
これを心のどこかで感じる人がもしかしたらいるかもしれません。
こういう人は大概、行動よりも口が達者で、知識に捉われ頭でっかちになっていく。
こういう人は大概、筋トレも自主練もするけど、目先の評価のためであるから、質と量が伴わず成長しない。
こういう人は大概、好んで結果で評価される世界にいるはずなのに、「俺だけが頑張っている」「周りが分かってくれない」と結果以外のところで評価を得ようとする。
そう、これは紛れもなく大学サッカーにおける私である。
自分の実力を正しく見極めることができないから、過去に得た快感や他人からの褒め言葉がずっと頭にこびりついていて、今の現実とのギャップに苦しみ続ける。
ピッチで起こっていることは思っている以上に純粋だ。そこに"調子"とか"他人"とかはそんなに絡んでいない。うまい表現が見当たらないが、その人の実力には絡んでいない、という言い方で伝わるだろうか。
実力社会といわれるスポーツ界だが、それは実力以上でも以下でもない社会のことだと思う。周りに、実力以外で自分より評価されていると感じる人や実力はあるのに評価されていないと感じる人がいるだろう。だが、実際には実力でしか評価されていない。
今振り返るとそんな実力社会における私の4年間はかなりしんどかった。沼の中でジタバタしてる感覚だ。1年目からトップチームで活躍することを目標に活動していたが、努力の方向はその目標にに向かっていなかったと思う。筋トレも自主練もしていたけど、すべてが目先の評価やアピールのためであったから目標を達成できる選手に成長していかなかった。3年間下で苦しみ続けて、ようやく4年目に2軍チームに当たるサテライトAに所属したが、それまでの自分の努力があらぬ方向を向いていたせいで自分の実力が正しく把握できなくて、評価が下がることだけを恐れた毎日だった。そんなことをしていたら、数ヶ月でサテAから落とされた。トップチームだけを目指していたはずの私の4年間は、トップチームを目指す自分が好きなだけの無意味なものだったのだ。自分の情けなさに落胆する。
そして、このような状態に陥る人は私以外にも案外多いのではないかなと思う。憶測だが、中学、高校でこのスパイラルに嵌り抜け出せなくなったアスリートや、逆にプロになってから嵌るアスリートもいると思う。
私と彼らに共通するのは「現実が把握できない」という点だ。私の場合は、トップチームにふさわしい実力がないというポイントを見て見ぬふりをして、目先の評価にとらわれた。また、プロになった人でも、アマチュアよりさらに結果主義であるがために、正しい現実が見分けられない人は増えるのではないかと思う。「あいつは落ちた」という表現はよく聞くが、実は最初から上にいないのだと思う。現実とは、ただそこにある現状のことだ。才能があると他の人に言われようが、怪我をしてから調子を落としたと思おうが、ピッチの上が全てである。そこで表現できるからこそ、実力者であり評価される人間なのだ。
私の大学サッカーの大半は、現実が直視できないまま終わってしまった。現実が直視できない人は、土俵にすら立っていないと思う。つまり、私はトップチームへの競争にすら参加できなかった。
最後になるが、カテゴリーを問わず「俺はこんなもんじゃない」と思う人はいると思う。それ自体は悪いことではないが、それが向上心なのか自己防衛なのかは見極めた方がいいと思う。
もし自分が凡人であると思えないなら、凡人であることを認め非凡を目指すトレーニングを積むしかないのである。
ちなみに、やっぱり俺は凡人じゃないと思うわ(笑)
2021/11/07 14:32