『怪我とサッカーと私』/畠中桜介
Bonjour!
Je m’appelle Osuke Hatanaka. J’ai 20 ans. Je suis en troisième année de littérature française à Aoyama Gakuin. Je viens de Hokkaido. Je suis né à Sappporo. J’aime beaucoup faire du foot. J’ai commencé à faire du foot quand j’avais 7 ans.
こんにちは!
僕はフランス文学科(以下仏文科)3年の畠中桜介です。上の文章は自分の自己紹介をフランス語でしてみました。興味があれば訳してみてください。仏文科に3年間も通えば、簡単なテーマの沿って300時程度の文章であれば書けるようになります。自己紹介は1年生の最初には書いたり、話したりできるようになります。興味があってもなくても仏文化はおすすめです。何もしたいことがなくて、でも大学には入りたい人はぜひ仏文科を選んでみてください。
さて、僕は、3月24日に20歳という人生の中での最大の誕生日を迎えました。20歳になれば今までだったら選挙権が与えられ、社会の中で、「子ども」から「大人」としての位置付けに変わります。他の同級生が20歳になっていく中で3月24日はとても遠く感じました。誕生日はみな1年に1回なのに何故なのでしょうか。それは自分だけなのでしょうか。それとも皆同じことを思っているのか。ぜひ聞かせてください。
3月25日、練習試合中に左足関節外側側副靭帯損傷という全治約12週間という怪我をした。去年も同じような怪我をした。自分は全く変わっていないんだなと思った。期間も怪我をした状況も何もかもが似ていた。次こそは絶対に怪我をしないようにと思っていたのに。何かスポーツを続けていると、怪我をするこはしょうがないことであると思うが、怪我をしない人もいることに疑問を抱いた。怪我をして、怪我人になり、部活に行くと「またお前もかよ」と言いたくなるような人たちが怪我をしていた。やはり謎だった。怪我をする人は怪我をするし、しない人はしないという二つに分かれているのだ。これは神様が導いたものであるのだろうか。だとしたらなぜ何回も怪我をしなくてはいけないのか。本当に神様が導いたのなら、怪我をすることは今後、良いことが起こるということなのか。礼拝に行くといつも「神様が導いてくださった。」「イエス様に選ばれた」と説教されるが、説教師は自分たちのように何度も怪我をしてサッカーができなくなる苦しさと同じ経験をしても、神様に導かれたと言えるのだろうか。宗教が嫌いなわけでなく、単に疑問に思っただけである。絶対に不可避な怪我はあると思うが、そうではない怪我は絶対にしないように今後は細心の注意を払っていきたいと思った。あと約1年間の大学サッカーを満喫したいと思う。
最後に、このブログのテーマである「怪我とサッカーと私」だが、これは僕が好きな歌の一つである、「部屋とYシャツと私」からインスピレーションを受けたものである。僕はこの歌を聴いて、歌詞をみた時、衝撃的な歌詞が多いことに驚きを感じ、同時にこの歌の作詞家は、相手のことが本当に好きなんだなと思った。中でも特に衝撃的だった歌詞が、「あなた浮気したら うちでの食事に気をつけて 私は知恵をしぼって毒入りスープで一緒にいこう」である。浮気されたら相手に腹が立って、毒入りスープを作っちゃうまではまだ120歩くらい譲ったら理解ができるが、一緒に飲んで一緒に行ってしまうほど相手のことを好きなのは、何度考えても理解ができなかった。今でも理解できてない。ずっと考えていたら、30年が経ってアンサーソングが発表されていて、この部分が、「結婚祝いのカップに特製スープ ひとりで逝って」に変わっていた。人はやはり好きの気持ちは変わってしまうものだと思い、一緒にいかないように変わっていて、少し安心した。このように興味深い歌詞が多い作品である「部屋とYシャツと私」を聴いてみてほしい。
長くなったこのブログを最後まで読んで頂きありがとうございます。
描いた甲斐がありました。(笑)
2023/06/02 11:30