『人生の岐路』/宮代敬弘
『人生の岐路』/宮代敬弘
こんにちは。多摩大学目黒高校出身、コミュニティ人間科学部3年の宮代敬弘です。3年ですが途中入部のため、部員ブログを書くのは初めてになります。拙い文章になっていると思いますが最後まで読んでいただけると幸いです。今回は私が大学サッカーを始めるに至った経緯について書いていきたいと思います。
高校3年の10月末、自分の高校サッカー人生は幕を閉じた。たくさん泣いた。この涙はもちろん試合に出場できなかったことや全国大会に届かなかった悔しさもあるが、不完全燃焼によるものが大きかったと思う。コロナの影響で関東大会とインターハイがなくなり、6月から徐々に活動を再開したものの8月は怪我でプレーできず。復帰してまたすぐに怪我をし、最後の試合の数日前からは食事の際に箸を持つのも辛いほどの激痛だった。最後の1週間は何度も引退を考えたが、家族と仲間の支えでなんとか最後まで続けることができた。みんなと一緒に引退できてよかったというやり切れた気持ちと、最後の一年を満足にプレーできなかった不完全燃焼の気持ちが混ざった高校サッカーだったと思う。引退するまでは大学でもサッカー部に入部する気持ちでいたが、4ヶ月続いたギブスでの生活と病院の先生から「完全に治るかはわからないし、もう一度同じ箇所を怪我したら治るのにもっと時間がかかる」と釘を刺されたことで気持ちが下向きになってしまい、入部しないことにした。入学してすぐに同期のたくとがサッカー部に勧誘してくれたが、断ってしまい見学にすら行かなかったことを今では後悔している。
長くなってしまうので、大学1年での生活は割愛します。
大学2年の6月、何も努力していない自分にイライラしていたと思う。ただ何となく過ごす日々には全く刺激がなかった。大学1年の冬くらいにようやく日常生活で怪我の痛みを感じることは無くなったので、そこからたまに筋トレをしていた。日曜の夜に近所のスポーツセンターで筋トレをしていたら、高校サッカー部の同期とたまたま会った。高校時代は部活に本気で取り組んでいるようには見えなかったのに、今は他大学の体育会サッカー部に所属して日曜の夜に自主的に筋トレをしている。その姿を見て、改めて自分は何をしているのだろう、何も頑張っていないのではないかと思った。そこから数日、やっぱりもう一度サッカーをやりたいけど今から入部するのは遅すぎるのではないかと葛藤した。そんな時、地方の大学でサッカーを続けている高校時代の同期から夢の中で檄を飛ばされた。「たか、今のままでいいの?頑張らなくていいの?」と。夢にまでその考えが出てくるってことはそれだけ本気で考えてるんだと自分で気づき、5時に目覚めたその日の朝、両親にもう一度サッカーをやらせてほしいと伝えてサッカー部に入部する気持ちが固まった。
このような経緯で途中入部をすることになりました。チャレンジするのに遅すぎることはない、そして迷っているなら後悔しない方を選ぶべきです。私自身途中入部したことに全く後悔はなく、この決断をしてよかったと心から思っています。
まとまりのない文章になってしまいましたが、このブログを読んで「今の自分を変えたい」という人に少しでも勇気を与えることができたら嬉しいです。最後まで読んでいただきありがとうございました。
2023/04/18 17:26