『だるま』/栗原滉
こんにちは。YouTubeのマフィアシティの広告が好きな桐蔭学園高校出身の栗原滉です。今回、青学サッカー部の看板を借りて初めてブログを書くことになりました。須藤(3年・千葉県立検見川高校)や内海(3年・都立大泉高校)のようなユーモアのある文章を書こうと思ったのですが、僕には書けなさそうなので今回は真面目に書かせていただきます。自身の内面を文字ににする事は慣れておらず拙い文章ではありますが、少しばかりかお付き合い頂だけると幸いです。
私はもう3年になるが、はじめてのブログということで入学当初を振り返ってみたいと思う。
私は高校卒業と同時に2年間サッカーから離れた。正確に言うと選手権が終わり、引退してからの2年と5ヶ月。一度サッカーというレールから外れた。
そう、私は2浪した。浪人は孤独でつらそうとよく言われるが、楽しいこともいっぱいある。個人的に浪人生活は愉快な仲間と共に、充実した日々を送ることができてとても楽しかった。楽しんでたから2浪したのか。どっちかは分からない。浪人中についての話はエピソードが多すぎて、書いてしまうと日が暮れてしまうため今回は割愛させていただく。
晴れて青学への入学が決まり、ダラダラと過ごしていた春休み。
ぼんやりと将来のことを考える中で、物心ついた頃からずっとやってきたサッカーをやめるという選択が思い浮かんだ。
高校まで大した結果を残しておらず、身体も小さい上に怪我が多く、おまけに2年間もサッカーから離れた私に大学サッカーができるのか。
部活は時間がかかるし、お金もかかることで親に迷惑をかけるし、どの角度から見ても、大学でサッカーを続けることは賢明な判断ではなかった。
しかし、私はサッカーを諦めることはできなかった。高校までのサッカー人生に対して不完全燃焼だった私は、本気のサッカーを捨てることはできなかった。
なぜなら、このまま中途半端な形でサッカーをやめてしまうと自分という存在を創ってきてくれたサッカーに対して申し訳ないと感じたからだ。
はたから見たら何カッコつけてんだと思うかもしれない。でも、一つのスポーツを長く続けてきた人は共感してくれるだろう。そのスポーツに触れる時間が長すぎて、スポーツをやっているうちに、まるでそれに育ててもらっている感覚になるのだ。
そんな私を育ててくれたサッカーに、けじめもつけずにお別れすることはできなかった。
「サッカーを続けるにしても別に部活じゃなくてもいいんじゃない?」と言う人もいた。
しかし、本気じゃなければ意味がないのだ。”マジ”のやつじゃなければ。自分も仲間も本気の環境の中でサッカーをすることが大事なのだ。
なぜなら、本気じゃないと得られないものが貴いから。自分も周りも本気で取り組む環境でこそ、結果が出ない時には葛藤するし、仲間とは対立するし、自分が嫌になる。でも、それらを乗り越えた先で真の喜びを仲間と分かち合うことができる。
ただ、続けることだけが善であると言いたいわけではない。
続けていたことをやめて新たなことを始めることもすごくかっこいい。
長く続けてきたことをやめて新しい環境に飛び込むことは続けることと同じくらい、いや、それ以上に勇気がいることかもしれない。
私の高校時代の部活の友達の中にも大学ではサッカーをやめたが、他のフィールドで輝いている人はたくさんいる。みんなかっこいい。
そんなこんなでサッカー部に入部することを決断した私は、自分の中で目標を立てた。
「一度社会からはみ出した人間でも活躍できることを自身が証明する」
高校まで大した結果を残してこなかった私にとっては大げさでおこがましい目標かもしれない。
でも、この目標は一度サッカーから離れた私だから、何度も失敗してきた私だからこそ目指せる目標である。
私はサッカー部でこの目標に取り組もうと心に決めた。
もしこれを読んでくれている人が、この先サッカーやサッカー以外でも何かしらで落ち込むことがあったら、少しだけでいいから私のことを思い出して欲しい。そうしたら思うはずである。「あいつでもやれてるから大丈夫だ」と。
ちっぽけな私の存在は誰の目にも入っていないかもしれない。それでも、必死こいている私を見て少しでも心を動かしてもらえれば嬉しい。
私は立ち上がる。何度でも。力強く。
拙い文章でしたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
次は最近、進撃の巨人にハマり過ぎて、暇さえあれば巨人のモノマネをしている浪人仲間の矢野くんに繋ぎます。2から1へ。矢野くんのブログに期待しましょう。
2021/04/06 12:56