『半分』/ 堤悠輝
『半分』/ 堤悠輝
お世話になっております。上田西高校出身、経営学部経営学科2年の堤悠輝です。
2度目のブログとなりますが、読みづらい箇所もあるかと思いますので、どうか温かい目で見ていただけると幸いです。
先日20歳を迎え、大人になったことをいよいよ実感すると同時に、10代が終わったことへの寂しさと時の流れの速さに驚かされた。
小さい頃はあれほど長かった1年も今ではあっという間に感じられ、今年もまた気付けば折り返しを過ぎている。振り返ると、なにかの節目の際は常に「もう〇〇か」と言ってきたような気がする。
人生100年時代といわれる現代において、20歳という年齢はまだまだ先の長いように感じられる。しかし人生を体感時間で見た場合、生まれてから20歳までとそれ以降の体感時間は同じといわれることもあり、そう考えた場合、自分はもうすでに人生の半分を使ったことになる。
ではその過ぎさった半分で自分はこれまでなにをしてきただろうか。ふとそう振り返ると、実はなにもしていないように思える。楽しいこともつらいことも経験してきたし、実際思い出も多くある。ただ、なにかこれを成し遂げた、というものが自分にはまだない。
自分はよく海外サッカーを観る。この歳になると、こいつうまいなあとかいって見てる選手が実は自分と同世代、もしくは自分より若い選手だったりする。最近だと16歳の化け物が国際大会でえげつないゴールを決めたところだ。どんな生活をしていれば、どれだけ練習をすればそうなれるのか心底気になる。彼らとはなにが違うのか。
直接話を聞けるわけでもないので答えはわからないが、結局のところ、どれだけ1日を大事にしているか、どれだけやるべきことにコミット出来ているかだと思う。自分はしばしばやるべきことを後回しにして、楽なことを先にやってしまう。そういう負の積み重ねが今の自分になっていて、それをどれだけなくし、良いものを積み重ねられるかが今後の自分を決めるのだと思う。
至極当たり前の結論に至ったが、その当たり前がいつだって最も大事である。サッカーができることも、大学に通えることも、そして20歳までなにひとつ不自由なく生活してこれたことも。当たり前の重さに感謝して、本当の意味でひとつひとつを大事にできるようになったとき、プレーも自分も変わっていけるように思う。そしてまたふと振り返ったときに、なにかひとつでも結果を残せているように日々精進していきたい。
そして最後に、ここまで育ててくれた両親へ。ありがとう、これからもよろしく。
2024/07/29 13:32