『ピンチはチャンス?』/内海大都
『ピンチはチャンス?』/内海大都
平素よりお世話になっております。
青山学院大学経済学部経済学科卒業見込み(ちょい不安)
兼 SNS部門長(結構不安)
兼 サテライトAキャプテン()
兼 青学サッカー部随一の「マメ」の内海大都です。
例年は耳障りであった蝉の鳴き声も今年はあっという間に静かになり、気づけば肌寒い季節となりましたね。
2年ぶり2回目のブログは引退ブログということで、4年間を総括しつつ、学びの多かった4年目にフォーカスして綴りたいと思います。
是非最後まで読んでくれたら幸いです。
2019年3月。覚悟を決めて向かった初練習参加の日。グラウンドを間違え、テニスサークルの人に「新入部員の内海です。よろしくお願いします。」と話し、あり得ないほど混乱させてしまったあの日。そのまま、遅刻で緑ヶ丘グラウンドまで移動し、タムさん(コーチ)の息子説が提唱されたあの日から約四年が経過しました。長いようで短かったこの四年間は圧倒的に濃い日々の連続でした。振り返ってみると、なかなか試合に出られなかった大学一・二年生、けがに苦しんだ大学三年生、メンバー落ち、降格争いで苦しんだ大学四年生と、悔しさばかりを経験してきました。
「ピンチはチャンス」
この言葉をよく耳にしたことがあります。大枠は正しいと思います。私もこれまでの人生で壁にぶち当たった際はこの言葉のようにチャンスへの転換を期待して行動してきました。しかし、この言葉の裏側を私はこの四年間で実感させられました。
誰しもピンチの時はやるのが当たり前です。
「上手くいっているときに、些細な失敗や挫折をした時に急激に落ちていくこと。」
今まで上手くいっていたことが上手くいかなくなったときに私は切り替えられずにずるずる落ちていきました。
今年のはじめ、トップチームでシーズンをスタートさせることができました。今年のスタートはランメニューが重視されたことにより、走りしか取り柄のない私は相当乗りに乗っていました。技術不足ですぐにサテライトに降格しましたが。まぁそれは想定内。トップにいたということでサテライトでは絶対的な立ち位置を確立していました(練習試合約30試合無敗時代の全スタメン)。楽天的な内海はまだケロッとしていました。私が大きな挫折を味わったのがIリーグ三節目にスタメン落ちしたときです。慢心と、上手すぎる下級生に飲まれてキャプテンであるにも関わらずスタメンから外れてしまいました。
"スタメンから外れ、チームも勝てなくなっている"
30試合以上スタメンでチームも負け無しという正の状況から、試合に出られない、チームも勝てないという負の状況への転落に対して私はどうしようも出来ず、焦りと不安で頭がぐちゃぐちゃになったのを覚えています。
杉本紀人(同期)の考える「認知、準備、予測、判断」(11/7ブログ参照)が私にとって足りなかったことでした。
成功している中でも準備やあらゆる予測をし続け、高い目標に向けて走り続けることが重要だと改めて感じされられました。
混乱と不安を抱える中、支えとなったのが仲間の存在でした。ありきたりだと思いますよね。でもね、ほんとに恵まれた環境だなと今にならずともずーっと感じていました。悔しさを共に経験し、目標に向けて尽力し、本気で喜ぶ。大学生にもなってこんな経験そう簡単にはできないと思います。一人じゃないと分からせてくれたから、あんな風にグラウンドでふざけ散らかすことができました。ありがとう。
別冊『感謝の気持ち』でこの倍倍の倍思いを書きます。
そんなこんなで私の4年間は瞬く間に過ぎ去っていきました。
シーズン当初は全国大会出場を目指していたものの、気づけば残留争い。
スタメン落ち、最後のほうの情けでのスタメン。
思い描いていた未来になったとは言えません。
サッカーにおいては悔しいことのほうがはるかに多かったかな。
しかし、最高の仲間と大好きなサッカーをやり切れたこと、大変誇らしく思います。
選手としてはここで一区切りとなりますが、まだまだ人生は続きます。サッカーで培った数え切れないほどの財産を、次は建築のプロとして活かしていきたいなと思います✌️
これからの内海もどうぞ温かく見守り、寄り添ってくれたら嬉しいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
2022/11/24 12:11