『高望み』/神田雄亮
こんにちは。作陽高校出身の神田雄亮です。
今回平松君から指名してもらい部員ブログを書かせていただくことになりました。
地元である関西を離れて早や5年が経ち、今では地元の友達には標準語になってると指摘されるようにまでなってしまいました。意外と知らない人がいるみたいなので一応言っておくと高校は岡山ですが出身地は奈良です。
そんな話はさておき本題に入ろうと思います。
時が経つのは早いもので残りの大学生活、と同時に残りのサッカー人生も2年を切ってしまった。先輩の口からも就活の話が聞こえてきて「来年の今頃は」と考えると焦っている自分がいる。
大学に入ってから今までの時間で自分は何ができるようになったんだろうかと考えてもすぐ答えられないのが現状である。
高校の頃監督によく言われていた。
「高望みをしろ」
と。
高望みと聞くと「能力もないのに大きなことを望むこと」と否定的に捉える人もいるかもしれない。しかしそれと同時に「大きな夢や高い目標を持つこと」という肯定的な意味で捉えることもできる。
私は「高望みをしろ」という言葉の真意は、何事にも限界を作らず立ち向かうことだと思う。これはサッカーのピッチ内でもピッチ外でも言えることだろう。
ピッチ内でいうと
「あの時ダッシュで戻っていたら相手のシュートを止められたかもしれない」
「あの時こぼれ球を詰めていたらゴールで出来たかもしれない」
サッカーをしたことがある人なら一度は経験したことがあるだろう。
私はこのような事がしばしばある。この先起こることは誰にも分からない、それでも未来をいかに予測して可能性がある限りそれに向かって行動するということが大事なんだと思う。
ピッチ外でいうと、言わずと知れたプロサッカー選手である本田圭佑選手を見て欲しい。
本田選手が「ワールドカップで優勝することが目標」と宣言した事を知ってる人は沢山いると思う。それを聞いた世間の反応は誰もが想像できるだろう。
達成こそしてないが、実際に公言し行動できる人が他にいるかと言われれば、ほとんどいないのではないだろうか。そして日本代表になり、海外でもプレーし、カンボジア代表監督をし、会社を経営し、その他にも多くのことをトライし続けて今では多くの人に影響を与える人になってる。それはまさに私が思う高望みの真意を実現させているように思える。
今現在、自分に残されている限られた時間の中で、興味があること、やってみたいこと、できるようになりたいと思ったこと、そんなことに挑戦し続けていきたい。その中には上手くはいかないこともあるかもしれないがそれこそが成長するチャンスだと思う。
だから私は高望みをする。
最後になりましたが、このような状況下でサッカー部として活動できるような環境を作ってくださっている全ての方々に感謝いたします。本当にありがとうございます。
拙い文章ではありましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回は無印男子の粕川君よろしくお願いします。
2021/03/12 19:37