『成り上がり』/横山颯野
『成り上がり』/横山颯野
初めまして。今回ブログを担当させていただきます、経営学部経営学科1年、横山颯野です。
今回のブログは、今までの自分のサッカー人生を中心に書かせていただきます。長いですが最後まで読んでいただけると幸いです。
小学校1年生でサッカーを始め、地元のごく普通の少年団に入りました。レベル帯で言えばクラブチームとやれば大敗、県大会にも出れない程です。その中でも自分は上手いという過信がありました。現実を見せられたのは小学校4年生時のトレセンに落ちたことです。県トレでも、市トレでもなく、区トレに落ちました。上手いと錯覚していたので相当落ち込みましたし、大泣きしました。
小4の悔しさをバネに毎日練習し、中学は県内の強豪に入りましたが、入団当初の立ち位置は同学年40人中40番目、Dチームの空きポジションをやらされる毎日でした。毎試合場所を問わず見に来てくれる親の前で怒られ続けて本当に情けない毎日を送っていました。そんな状況を変えるべく、練習のない日は暗くなるまでトレーニングしチーム内の誰よりも練習しました。なので中学時代友達と遊んだ記憶は殆ど無いです(笑)。中2になるとスタメンで試合に出られる様になり成長を実感しましたが、中3になり監督が代わるとまたも出場機会が減り、出場できなかった試合は人目を憚らず泣いていました。
高校へは勉強で入学してサッカー部に入ろうと考えている事をチームに伝えると「お前じゃ試合に出れない」「3年間出れずに終わる」「辞めておけ」といった言葉を監督やチームメイトからかけられたことを覚えています。
そんな言葉を押し切り八千代高校に入学しました。入部後すぐにBチームにあげてもらいましたが、そこで調子に乗るのが僕。まだまだ実力不足だったため、練習でのゲームで自分が入ったチームからは「終わったわ」「負けた」という声が聞こえてくる始末。そんなこんなですぐ1年生カテゴリーに戻され、努力が足りないなと感じました。それでも練習を誰よりもし、高一の終わりにトップチームにあげてもらい、数試合スタメンでも試合に出れるまでに成長しました。またも調子に乗るのが僕。そのポジションに甘んじてしまい、高二の選手権前にBチームに落とされ、またも悔しい思いをしました。そんな激動の2年間で多くのカテゴリー変更を経て、これら多様な経験を糧に新チームになってからは1年間スタメンで試合に出続ける事ができました。バックラインの経歴は右から"レイソル,ジェフ,FC東京,区トレ落ち(僕)"で自分以外の3人中2人が日本一の経験があるエリートばかり。明らかに見劣りするし今でも、「よく試合に出られたな」と感じます。
中学、高校時代を振り返るとカテゴリーが落ちたり、試合に出られないたびに泣いていたのが記憶にあります。全く試合に出られなかったり、心無い言葉をかけられたり、下手ですぐにカテゴリーを落とされたりと、こんなにも下の世界を経験した人はなかなか居ないと思います。全く日の当たらない下の世界から、挫折のたび練習して這い上がってきたからこそ、あの有名な「涙の数だけ強くなれるよ」という歌詞は本当に身に沁みてわかります。
つまらない大人は人の挑戦を「無理でしょ」などと言いますが、そんな言葉は無視して、もっと挑戦してもっと失敗して、もっと成長していきたいなと思います。
自分は、成長率だけは自信があるのでぜひ見守っていてください。
長々と書いてしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
2024/10/31 06:43