『サッカー人生・完』/ 鈴木大策
『サッカー人生・完』/ 鈴木大策
こんにちは、青山学院大学経営学部4年鈴木大策です。
引退してから時間が経ち、友達の引退ブログを読んでいると「あー俺引退したんだな」という実感が湧き、自分も4年間を振り返ってみようと思います。拙い文章ですが最後まで読んでいただけると幸いです。
2024年11月16日、16年間続けてきたサッカー人生の終了の笛が鳴った日だ。まさかサッカー人生最後の笛をピッチではなく、足をつって交代し、ベンチで聴くことになるとは思わなかったけど笑
大学生活最後の1年間、怪我だったり、試合に出られなかったり、チームが勝てなかったり、苦しい時間が多くてなんだか長く感じた1年だったけど、なんも後悔はなかった。
大学1年生
高校時代、大宮アルディージャのユースチームに所属し、全国大会やプレミアリーグで戦ってきた私は、青山学院大学に入学してもすぐに試合に出れるだろうと感じていた。しかし、そんな考えも甘く、1年生で関東リーグに出るどころか、トップチームにすら上がることができず1年間Bチームで過ごした。
Bチームが1年間戦うインディペンデンスリーグというリーグがあるのだが、1年間を通して自分達はわずか2勝しかすることができず、後はほとんど負けてしまった。正直今までこんなに負けるシーズンはなかったので、本当に辛かったのを覚えています。
大学2年生
2年生となりトップチームに昇格することができたが、最初の頃はトップチームに昇格しただけで試合に全く出ることができなかった。練習試合に行っても最初はライマンかビデオ撮影。それが終わればアップをして短い時間の出場。関東リーグの舞台で活躍をしている高校時代の同期たちや青学の同期を見ると、本当に自分は何しているんだろうと思ったし、めちゃくちゃ焦りを感じていた。でも、それと同時にすごい刺激をもらうことができたので頑張ることができた。
愚直に努力した結果、2022年8月9日の東海大学戦で関東リーグデビューを果たすことができた。後半45分間の出場。結果は0対5屈辱的な負けではあったけど、やっとスタートラインに立つことができた喜びは鮮明に覚えている。
大学3年生
「結果を残す」
大学生活の折り返しが始まり、自分の中で決めた3年生スタート時の目標だった。プロになるためにひたすら結果を残す。シーズン立ち上げ時のきつい練習や走りを乗り越え、迎えた開幕戦。途中出場だったが1アシスト、続く2節目の関東学院戦でも、2度と決めることができないであろうスーパーボレーシュートを決め、2節で1G1Aといういいスタートを切ることができたのだが、翌週の練習中に膝のお皿を割ってしまい、4ヶ月サッカーをすることができなくなってしまった。
みんなが練習している中自分は自宅療養。本当に辛かったし、サッカーしているのが羨ましかった。関東リーグでチームが勝った報告などを聞いても最初の頃は本当にどーでもよく感じてしまっていた。
時間が経ち、グラウンドに行けるようになってからはみんなに会って気分がだいぶ楽になってリハビリを頑張ることができた。
復帰が9月の末ということもあり、残りの関東リーグも少ないことからリハビリを追い込んだ。その結果、無理な追い込みが仇となり、復帰した1ヶ月後にシンスプリントと足底腱膜炎になってしまった。無理に残りのシーズンをやり切ったせいで痛みがなかなか取れず、3年終了時からリハビリ生活が始まった。この時だろう。就活をしようと決めたのは。まー結局すると決めただけでまともに就職活動はしてないんだけど笑
大学4年生
最後のシーズンが始まった。3年生の関東リーグの最後に無理してサッカーをしたせいで、4年生の最初は怪我でプレーをすることができなかった。開幕戦前にギリギリで復帰したが、なかなかコンディションは上がらず、前期はほとんどベンチに座っていた。その時の左サイドバックのスタメンはずっと磯村。本職じゃない人にスタメンを取られていたことは本当に悔しかった。顔や態度に出さないように振る舞ってはいたけど、厚さん(監督)に「最近様子がおかしいぞ?」と言われた時は四年生にもなって情けないと思ってしまった。でもその時に厚さんにいろんな話を聞いてもらえたおかげで、自分の中のモヤモヤが吹っ切れて練習が楽しくなった。その後から何節か試合に出てコンディションも上がってきたのだが、2024年の7月28日の作新大学戦で右足首を怪我してしまい、医者から治すのに3ヶ月と言われた。普通に計算して治ってから残り関東リーグは5試合。練習試合で試合感覚やコンディションを戻しても関東リーグに出れるかどうかすごい不安があった。しかし、ここまで何不自由なくサッカーを続けさせてくれた親。指導してくれた指導者。応援してくれた友達達に最後の試合でベンチ外で自分が応援している姿を見せたくなかった。そのために必死にリハビリしてコンディションを戻そうと努力した。結果残りの3試合にスタメンで出ることができた。正直全くコンディションが上がらずチームに迷惑ばかりかけていたけど、全力でプレーした。
そして2024年11月16日。16年間続けたサッカー人生の終了の笛が鳴った。
「あーあ、終わっちゃった」
笛が鳴った時に最初に思ったのがこの感想だ。
この4年間怪我ばかりでなかなか自分の思った通りの4年間を送ることができなかったけど、最後まで全力でプレーしている姿を応援してくれていた人たちに見せられた事は幸せな事だと思し、後悔はないです!
もし昔にタイムスリップしてまた1から何か始めるってなってもサッカーを選ぶし、生まれ変わってもサッカーをやると思います!
それくらい楽しくて好きなスポーツでした!
同期のみんな4年間ありがとう!個性強い人ばっかで毎日楽しかったし、勉強面でも大変お世話になりました笑
社会人になってもそれぞれの道で頑張りましょう!
両親へ
ここまで何不自由なくサッカーを続けさせてくれてありがとうございました。小学校の時からどんなに試合会場が遠くても毎試合応援に来てくれてありがとう!少しずつこの恩を返せるように頑張りたいと思います。
拙い文章でしたが最後まで読んで頂きありがとうございました。
今後とも青山学院大学体育会サッカー部のご支援よろしくお願い致します。
2025/01/06 19:36